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読売日本交響楽団 第509回定期演奏会 @サントリーホール 大ホール




指揮:シルヴァン・カンブルラン(読売日響常任指揮者)


ベルリオーズ/序曲〈リア王〉作品4


チャイコフスキー/幻想序曲〈ロミオとジュリエット〉


チャイコフスキー/交響曲 第6番 ロ短調 作品74〈悲愴〉



今シーズン最後のサントリー定期へのカンブルラン登壇。チャイコフスキーの人気作品が取り上げられていたせいか、座席はいつもより埋まっているように見えました(もしかしたらカンブルラン&読響の好評が影響していたのかもしれませんが)。前プロのベルリオーズは第507回定期に引き続き。聴いたことがない作品でしたが、ブリリアントかつリッチな鳴りがいつも以上に素晴らしく楽曲を端正に仕上げている印象を受けました。続くチャイコフスキーの《ロミジュリ》も同様。基本的にカンブルランが選択するテンポは快速ですが、音楽はただ流れていくのではなく、煌めくような表現が随所に挿入されていく。これが毎回生で音楽を聴いている喜びを実感させてくれます。ホットな体を、クールな頭脳でバキバキに統御した、外はサクサク、中はとろ~りの逆バージョンとも言える音楽の作りは、爆演タイプの指揮者では味わえない愉しさに満ちている。





ただ、メインの交響曲は個人的にあまり乗り切れませんでした。ロマンティックな表現に耽溺することのない清潔感のあるチャイコフスキーで、すごくリズムに切れ味を感じさせるものでした。けれどもいくつかオーケストラの演奏で細かく気になる点が冒頭からあったこと、と、これはあまりに流れすぎちゃっているのではないか、音楽が、といまいちフックがないまま演奏が終わってしまった、というのが正直なところ。これは単純に好みの問題でしょうけれど、前・中のほうがオーケストラが集中していたようにも思われました。そもそも曲があんまり好きじゃない、というもあるんですが……。楽曲が「常にオンな曲」というか、抜きどころがない、というか、全部塗りつぶしたみたいに濃い曲なので、その濃さをガッツリ強調しないと表現のコントラストが効いてこないですよね。やり過ぎで来てもらわないと、いまいちガッツリと来ない。





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