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特発性過眠症と診断されるまでの話(3)

特発性過眠症と診断されるまでの話(2)

前回は大学病院で脳波をとったものの「よくわかんねーから、睡眠専門のクリニックに紹介状書いてあげるので、これ以上なんかやるならそこに言ってくれい」と言われたところまで書いた。この睡眠専門クリニックというのが、代々木にある「睡眠総合ケアクリニック代々木」という病院である。私が初めて行ったときはまだ「代々木睡眠クリニック」という名前で、ちょうど睡眠関係の検査を受け始めるちょっと前にNHKの朝のニュースで「むずむず足症候群」という聞いただけで足がむずむずしてきそうな病気が紹介されており「あ、あそこのことか」とピンときた。

睡眠専門の病院、というのはほとんどないらしい。だから、その手の悩みを抱える人がわんさかこの病院に集まってるわけで、ここの待合室はいつ行っても人が一杯。完全予約制でも結構待たされることがある。最初に予約の電話をしたときに「えーっと直近で一ヶ月後しか空いていないですね」と言われて驚いたけど、専門の病院っていうのはどこもこんな感じなんでしょうか。ただ、キャンセル待ちにしておくこともできるので、仕事が急に休みをとっても割と平気な人はそんなに待たなくて済むのかも(キャンセルがあると事務の方が電話をくれて、私もそれでかなり予定が繰り上がった)。

初診では症状を聞いてもらい、検査の予約などを(もしかしたら血液検査もしたかも)。

一泊二日終夜ポリグラフ検査

ここで受けた検査は、病院で一晩寝て(いろいろとデータを取られ)、次の日一日かけて断続的に寝る(いろいろとデータを取られる)というもの。Wikipediaにも検査について書いてありますね。夜の検査は、体中にいろいろなセンサーをつけられ、またもや『AKIRA』に出てくる被験者になったかのようですが、自分は寝るだけなので苦労はない。呼吸センサーもつけられるので一緒に睡眠時無呼吸症候群かどうかを判別するためのデータもとられる。次の日の検査は、毎回四十五分ぐらいずつのセッションで寝かせられて脳波とかを取られる。セッションの間には大体二時間ぐらいの間隔があり、セッションごとに脳波センサーをつけはずししてもらわなきゃいけないのがちょっと面倒(ただし、検査技師の方はプロなのでセンサーをつけるのもめちゃくちゃ手際が良い)。これが普通は四回だったかな? 私の場合は「データがなんか上手くとれてないので、もう一度だけやらせてください」と予定より一度多く検査された。

検査結果は二週間後ぐらいに。この検査の結果で「特発性過眠症」という病名がついた。お医者さんの話によれば「目を瞑ってから入眠までの時間が規定の時間以下なのが規定回数超えると異常とみなす」とのことで、私の場合はあと一回規定時間以下のセッションがあったらナルコレプシーという診断が下っていたらしい。病名が変われば症状が変わるわけではないのでこの部分は重要ではない。「検査で前日八時間ぐっすり寝てる。脳波もばっちり寝てるのに、この寝付きの良さは普通じゃないんですよ」と言われたときは、え、みんな、こんなに普段から眠くないの……いや、たしかに会社でも仕事中「眠い〜」とグチをこぼしながらも実際に寝てる人って俺しかいないしな……と妙に納得したのだった。

ちなみにこの検査、差額ベッド代みたいなのを取られると合計で三万円ぐらい飛ぶ。が、後に病名がつけば医療保険の給付金支払い対象になるので色々補填できる(差額ベット代については色々と調べてみることをオススメする。これってもしかして払う必要がないのでは? と思ったら、問い合わせてみましょう)。私の場合、入院給付金のほかに通院特約もあったので、入院した時点の前後何ヶ月かで検査などで通院した際の領収書があれば、領収書一枚につき3000円が戻ってきた。保険って大事ですね! まあ、これまで払ってきた保険料を考えれば全然赤字ですけれども。

特発性過眠症と診断されてからの話

検査結果を聞かされた日にベタナミンというお薬を10mgで一日二錠処方される。鬱病の人も飲む向精神薬で、意識がハッキリする作用がある。詳しくはココを。副作用では口の乾きが強く、また、一番最初に飲んだときはこれまでそうしたお薬を飲んだことがなかったせいか、異常な動悸に襲われ「向精神薬やべ〜」と思った。口の乾き対策にはそれまで毎日会社で一日一リットル弱ぐらい飲んでいたインスタント・コーヒーをやめ、代わりにミネラル・ウォーターを二リットルぐらい飲んでいた(今も飲んでる)。薬を飲むと、たしかに急激な眠気に教われることはなくったけれど、意識がそこまでハッキリしてくることはなく、感覚的には脳の前半分はぼんやりしていて、後ろ半分が醒めてる、みたいな感じ。そして、眠いときにはやっぱり寝てしまうこともあった。あと、服用直後に猛烈に眠くなる作用もあったなあ。

ベタナミンはその後、会社の健康診断の日にうっかり飲んでしまって検査を受けたら、血液検査で肝臓の数値が異常値を叩き出し(ベタナミンの副作用で肝障害リスクが高まることは報告されている。処方されたときは『それはあくまでレアケースなのでほとんど心配ないです』と言われた)、別な薬に切り替わる。

それで今飲んでるのがモディオダールというお薬。詳しくはココを。Wikipediaでの記述ではオリンピックでの禁止薬物に指定されている、とか、軍の特殊部隊が実験で飲んだ、とか、いろいろ勇ましい感じなことが書いてありますが飲んでも「戦場は地獄だぜ! フゥハハハーハァー」とか叫んだりはしません。副作用としては口の乾きがやはり強い。でも服用後の急激な眠気もなく、意識のハッキリ度もベタナミンより強い。ただし、体は疲れてるけど薬のおかげで全く眠くない、というのは意識のあるゾンビ状態と言ってもよく、そうしたときに気分が落ち込みやすい。また、軽い頭痛がでる(が、薬を飲む前から頭痛はあったのでそれがホントに薬のせいかは不明)。しかし、これを飲みはじめたら全然昼間眠くないので「こ、これでオラも三年寝太郎みたいに思われなくて済むダァ」と言う感じで、お医者さんも「薬が体に合ったみたいで良かったですね」と言ってくれている。

ネックとしては、高いんですよ、この薬。一ヶ月分で3500円とか飛ぶんですよね。病院の診察料も含めたら一ヶ月の眠気を抑えるのに4000円超かかる。これを自分が真っ当に生活するための必要なコストと考えられるかどうかがポイント。眠いのは体が求めていることでもあるわけで、それを薬で抑えるのはもしかしたら不自然なことなのかもしれないし。第一、仕事するために薬を飲んでいる、という感覚がマン・マシーンみたいだし「お、俺は資本主義の歯車じゃない! 歯車の前に人間なんだ!」と叫んだ後にヒューマン・ネイチャーを激唱したくもなるよ。

というわけで、病気のお話はこれでおしまいです。

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