アリストテレス
岩波書店
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まずは『天界について』だが、これ、タイトルからプラトンの『ティマイオス』のようなコスモロジーを大々的に開陳した内容を想像していたのだが、ちょっと違っている。タイトルから想像されうる宇宙だとか天界についての議論は、全4巻の内容のうち、2巻の途中までほとんどその手の話がでてこない。古来よりこの著作の主題についてはいろんな注釈者があれこれ言っていて、巻末の翻訳者による解説では注釈者ごとの解釈の違いについてまとめられているのでありがたい。たとえば、アフロディシアスのアレクサンドロスはタイトルを素直に受け取って、宇宙論が主題なのだ、としているが、シンプリキオスはそうじゃなくアリストテレスの物質論の基礎が主題なのだ、と言っている。
わたしも書かれているものを素直に読んだらシンプリキオスの解釈が正しいんじゃないか、と思った。前半部分でクドクドと続いている「円の完全性」や「無限は存在しえるのか」といった議論は、これがどう宇宙論につながっていくか不安にさせるものであるし。ただ、このへんの議論を読んでいたら『魂について』でよくわからなかった部分が少しわかるようになったので有益。
アリストテレスはモノによっては散漫で「なんのはなしだよ」とツッコミたくなる話をかなりしているみたいなので、こうしてザッピング的にいろんなものを読みながら、わかる部分を拾っていくと、そのうち点が線になり、そして面に……という理解が深まっていくのかもしれない。言葉が難しいだとか、表現が難しいだとか、そうした問題はほとんどない。今回の新アリストテレス全集なんか相当にリーダブルな日本語だと思う(ちゃんと比較してないけども)。「これなんのはなしなんだろう?」問題のほうがアリストテレスを理解するうえでの壁になりそう。
もっとも面白かったのは「宇宙はひとつしかないのか、それともたくさんあるのか」に関する論証だった。アリストテレスは「宇宙は一個しかない!」という立場を取っているのだが、その論証には彼の物質理論が拠りどころとなるのだ。
彼が考える世界において、モノは自然本性的に動く方向が定まっている。上に向かっていくものと、下に向かっていくもののふたつに分かれていて、その方向がモノの重さとかにも関係している。運動は地球の中心を起点にしていて、軽いものは中心から(上に)離れていき、重いものは中心へと(下に)向かっていく。アリストテレスはこの理論を応用して「もし宇宙が複数あったら、中心が複数できることになる。そしたら、重いものが別な中心へと引っ張られて、上に離れていくこともありえるじゃないか。そんなことは現に観測できてないんだから、中心はひとつしかなくて宇宙もひとつしかないのだ」と話をまとめていた。
前提となっている自然本性によって決定される重さの理論も、重力や引力の理論が生まれる前の異世界感・我々の世界との遠さが最高にイケてると思うし、以前に読んだジョルダーノ・ブルーノの『無限、宇宙および諸世界について』も読み返したくなった(この本は、アリストテレスの有限宇宙論への反駁なのだ)。
次に『生成と消滅について』だが、これは『天界について』に輪をかけて「なんのはなしなんですか」な本だと思った。2巻に入るとだいぶマシな感じがしてくるが、1巻はこれ単独だと前提としている拠りどころがわからなすぎて困るのではないか。『天界について』で下準備をしたうえで入っていくのが良い気がする。原子論者などの他の学者への言及が多いし、注意して読んでいかないとなにがアリストテレスの言っているのことなのかも把握しにくい。「◯◯は××であって〜」云々と続いているのを「ふむふむ〜」と思って読んでると最後に「そういうことを言っている輩がいるが、違うんである」と来て、ガックリくる。
ここで興味深く読んだのは、アリストテレスが延々とある性質に対する反対性質のものを並べている箇所だった。「熱い」に対して「冷たい」、「湿っている」に対して「乾いている」だとか。こういう相反する対立軸は、彼の自然観においては他にもあって『天界について』では、「右」と「左」、「上」と「下」、「前」と「後」、「重い」と「軽い」など……という対立軸の整理を行っていた(円や球はそうした反対性質のもってないので、完全である、とされる)。これらを読んでいて、さまざまな対立軸が折り重なることで、描写される世界観みたいなものを感じたのだった。
もうちょっと真面目に読む必要があるが、それは読書会でやるからいいや。
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