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最もエレガントなポスト・モダン・ミュージック




シュニトケ:合奏協奏曲第1番
クレーメル(ギドン) シフ(ハインリヒ) ヨーロッパ室内管弦楽団 グリンデンコ(タチアナ) スミルノフ(ユーリー) シュニトケ
ユニバーサルクラシック (1994/02/02)



 12月になってしまい卒業論文の〆切まで3週間を切った。ここ何日かはプログレか現代音楽か題材の一つであるジャズを聴きながら作業を進めている。歌詞のある音楽を聴いていると結構テンションにノイズが入ってしまうので邦楽はもちろん、洋楽ロックも聴かなくなってしまった。こういうときは「最近聴いていないなぁ」っていう録音を聴きなおしたりする――それでアルフレート・シュニトケについての記事を思い至ったわけである。


 1934年ソ連領内にてユダヤ系ドイツ人とドイツ系ロシア人の間に生まれ、自身の宗教はカトリックという複雑な文化的アイデンティティを持ったシュニトケは、1998年に死ぬまでに交響曲を9曲(第9番は未完)、合奏協奏曲を5曲(うち1曲は交響曲も兼ねる)、弦楽四重奏曲を4曲、独奏楽器のための協奏曲を8曲、室内楽曲と舞台音楽をいくつかと映画音楽をたくさん……と「古典的形式の名前」を冠した作品を多く書いている。20世紀にここまでクラシカルな形式にこだわっていたのはショスタコーヴィチと吉松隆と彼ぐらいなものだが、クラシカルなのは名ばかりでシュニトケの作品ほど「ポスト・モダン」を感じさせる音楽は他にない。バッハ以来の西洋芸術音楽における様々なイディオム――20世紀の音楽ではジョン・ケージ、クシシュトフ・ペンデレツキ、ルイジ・ノーノ……etc――を万華鏡のように散りばめた作品は「多様式主義」と呼ばれ、様式の反復によって「新しい作品」を生産していった(プログレをクラシック化する試みでは、吉松隆も立派に『多様式主義』なのだが)。


 彼の出世作《合奏協奏曲第1番》も「多様式と引用の織物」とでも呼べる作品である(ちなみに合奏協奏曲という楽曲形式はバロック期を最後に一度歴史から消えてしまったものだ)。そこにはバッハの引用、12音技法、トーン・クラスター、プリペアード・ピアノと言った「ロマン派のない西洋音楽史」が盛り込まれている。しかし、カットアップのように自由につながれた多様式のなかでは、直線的に流れる歴史は解体され、そして失われたものと変容する――そして、バッハを思わせる無限カノンから、アルゼンチン・タンゴのメロディが現れたとき、「消失した歴史」こそが「現代」そのものなのだということに我々は気付くこととなるだろう。


 ドゥルーズの『シネマII』が翻訳される一方で、18世紀を生きたディドロの奇書『運命論者ジャックとその主人』の新訳が刊行される21世紀の書店で流されるのに最も相応しく、そして最もエレガントな音楽としてシュニトケの音楽を挙げたい。「ビートルズの新作」と共にシュニトケは聴かれるべきなのである。




 シュニトケの主要な作品群はギドン・クレーメルが熱心に録音に残しているのだが、そのほとんどが廃盤。これはなんとかして欲しい事態だ。ドイチェ・グラモフォンも五嶋龍をCDデビューさせている場合ではない早いところ合奏協奏曲ボックスあるいは交響曲ボックスを組んで発売してくれ(龍くん、何度も悪いように言ってごめん。でも、君の録音、お姉さんのよりも魅力的に感じなかったんだ……)。





コメント

  1. クレーメルの合奏協奏曲に関しては、DGの録音よりも前の録音(旧EuroDisk/現BMG)のほうが個人的には好きなのですが。
    5楽章のタンゴに関しては、後年クレーメルがピアソラに走った事の前触れだと思ったりしています。

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  2. あーそちらの録音は存在も知りませんでした。今も手に入りますか…?(あとカップリングはなんでしょうか)
    厳密にあれが「アルゼンチン・タンゴ」なのかはよくわからないんですけどね。シュニトケもアコーディオンを学んでいたほど、ポピュラーな音楽に寄りかかっているので、流行歌としての「タンゴ」なのかもしれません。あのメロディもピアソラよりも「ポップなもの」として感じられますし。

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  3. ネットカフェ退出間際の書き込みだったので返事が遅くなりました。

    最初の録音に関しては国内盤はDenonから出ています。
    カップリングはシベリウスの協奏曲です。
    http://www.cdjournal.com/main/cd/disc.php?dno=3203010633
    これは、現役かどうか分かりませんが、昨日神保町で中古盤を見かけました。
    私が持っているのはBMGから出た、生誕60年記念だったかのコンピですが廃盤になっています。

    タンゴに関してですが、この頃のシュニトケは映画音楽用に作曲したメロディをシリアスな曲に突っ込んでいたふしがあり、タンゴも恐らく初出は映画音楽だと思われます。
    もちろん、アルゼンチンタンゴとガチな関連があるとは思っていませんが、初めてシュニトケを聞いたのが20年前なので(年がバレますが)クレーメルがピアソラのピアソラのアルバムを出したのを知って何か感慨深いものがあったのです。

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  4. 情報ありがとうございます。やっぱり廃盤が多いんですね。私もシュニトケの録音は手に入れることがほとんどできなくて、2年ぐらい前に図書館で借りたものをコピーして持っているだけなので、再来年死後10年記念とかで一気に再発して欲しいと願っています。

    20年前にシュニトケ……非常に感嘆しました。むちゃくちゃリアルタイムじゃないですか……。私の場合、シュニトケに出会ったのはとっくに亡くなった後でそれなりに評価もされていた時期でしたもの、その当時の受容され方など教えていただけたら嬉しいです。

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  5. 当時の受容のされ方ですか・・・・・・ネットも無かったし結局は個人的なことを書くしかないのですが。

    まず、私がシュニトケに興味を持ったのは、1986年3-4月にクレーメルが来日した時にヴァイオリン協奏曲第4番の日本初演を演奏しているのですが、その紹介記事を読んだのがきっかけです。
    当時はショスタコービッチにはまっていましたが、現在では偽書とされている「ショスタコービッチの証言」の信憑性が高かった時代で、シュニトケ達も「体制に抑圧された前衛作曲家」として見られていたのではないかと思います。あと「西側の作曲家が行き詰まりを見せている一方でソ連で面白いことをやっている作曲家が居る」とも思われていました。彼らの存在は、クレーメルの紹介もあったり、80年代の初めにNHK-FMで特集が放送されたりして知られていましたが、本格的に全貌が明らかになっていくのは、やはりペレストロイカ以降になります。
    ただ、やはり当時は情報に乏しかったので、それこそ図書館や中古レコード屋でクレーメル等の音源を捜したり、コンサートやソビエト映画特集に通ったりしました。
    1992年の高松宮殿下記念世界文化賞受賞で来日したときも見に行きましたが、脳卒中の後遺症で歩くことも覚束ないシュニトケは見ているのがつらかったです。

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  6. 痺れるようなお話ありがとうございました。いやー、すごい。過去の状況の記録っていうのも貴重だなー、と思います。sekinemaさんの個人的なことかもしれませんが、私にはとても面白かったです。
    FMを聴かなくなってから現代音楽の状況はてんで分からなくなってしまったなぁ……。今だからこそエアチェックとかしなきゃなのかも。

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