フリードリッヒ・キットラー『グラモフォン・フィルム・タイプライター』

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グラモフォン・フィルム・タイプライター〈上〉 (ちくま学芸文庫)
フリードリヒ キットラー Friedrich Kittler 石光 泰夫 石光 輝子
筑摩書房 (2006/12)
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 上巻を再読――「奇妙な本だなぁ」という思いが、読めば読むほど強くなっていく、そういうタイプの本である。フリードリッヒ・キットラー。何年か前に、ものすごくインターネットをめぐる言説が活発だったころ、やれベンヤミンだ、やれマクルーハンだ、やれボードリヤールだ、と言われてて、この人の名前もあがっていたように思う(懐かしいですね。儀礼的無関心とか言って、結構熱かったよなぁ、その後、ネットでゴフマンの名前なんか一度も見たこと無いけど)。そのときは「これからはメディア論なのかー」などと思ったものだが、すぐに熱が冷めてしまって、キットラーも元の「なんだか難しくて扱いにくい人だなぁ」という位置に収まってしまったような気がする。正直、どんな風に評価されているか知らないのだが、まぁ書いている本はとてつもなく面白い。けれども、これをどう使って良いのかよっぐわがんね。

 無理矢理、アドルノに接近して考えるならば、メディアによってメディアの対象となる「そのもの」から、「浮動的なもの」が奪われていくか、という話になるだろうか――という話は初めて読んだときにも書いた*1。自分で言うのもなんだが、これはあまりにもお粗末な解釈である。面白くない。もっと、面白いことがこの本からは汲みだせる気がする。というか、これでは「キットラー読まなくてよくね?アドルノで良いんじゃね?(アドルノもいらなくね?デリダでよくね?)」という話になってしまう。

 松岡正剛もアドルノに接近させるわけではないけれど、大体似たようなことを言ってると思う*2。松岡の書評でも、やっぱり「なんか突き抜けてないんだよなぁ」みたいなところにキットラーは落ち着いている。うーん、なんでなんだろうなぁ、なんでこんな風にしか読めないのかなぁ、などと思う。もしかしたらホントにその程度の人なのかもしれないんだけれども、なんか本の面白さと言ってる内容の落差が大きすぎて居心地が悪い。不思議だ(アドルノの方が読んでてもちっとも面白くないぞ)。「ピンク・フロイドやビートルズの『イエロー・サブマリン』をラカンで読み解く!」みたいなインチキ臭さに騙されてるのか、みたいな気分にもなる。






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