ミゲル・デ・セルバンテス『ドン・キホーテ』(前篇1)

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ドン・キホーテ〈前篇1〉 (岩波文庫)
セルバンテス Cervantes 牛島 信明
岩波書店 (2001/01)
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 「世界三代ドン」のひとつに数え上げられるセルバンテスの小説『ドン・キホーテ』を読み始めました(残りのふたつは、ドン・ファン、それからドン・ドッケン!)。400年前の小説にここまで腸がねじれるほどの笑いを呼び起こされるとは……おかげで便秘が治りそうです。セルバンテスは「実はこれ、ワスが書いた小説じゃなくて大昔の歴史家であるシデ・ハメーテが記録したものを編纂した本なんですよー」と所謂「メタ・フィクション」構造を持って小説を書いているんだけれども、「これからいよいよドン・キホーテの戦いが……」っていうところで大抵「ここから先の資料がないので残念だけども、ドン・キホーテがどんな風に戦ったかっていうのは省略ね」という無茶苦茶な物語の切り分け方をしていて、そこがすごく良いです。寸止めメソッド。


 こういうものを見ていると「『これは斬新だ!』と思わされる多くの手法というのは、過去の再構成・再生産でしかないんだなぁ」とか思います――こういうのは音楽の世界にも言えて、無調音楽は調性音楽の秩序を破壊し……云々と言いますけれども、バロックよりずっと昔の時代の音楽には既に無調音楽的なものがあります。こういうとき思い出されるのは「新しい音楽なんか存在しない。新しい機材があるだけだ」というジョン・ゾーンの言葉でして、たしかに近代の前衛における手法の道具的利用というものに関して「新しい小説/音楽を断念しなくてはいけない(そのため手法に寄りかからざるを得ない)」ということが言える様な気がします。逆に言えば、「ああ!斬新だ!!」と感じさせるものでも、それは古典的な小説/音楽と通ずるものを持っている、とも言えるのですが。



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 さて、昨今80年代・90年代の再生産とでも言うべき現象が信じがたいほどに行われ、押し寄せるニューウェーブ(ヌーヴェルバーグ/ノイエ・ヴェレ)を感傷的な気持ちで受け止めているところですが、いつになってもLAメタル再生産の兆しが一向にみられないことは大変残念なことだと思っています。奇想の系譜学に彼らが組み込まれないのは、ひとえに歴史家の怠慢でしょう……。





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