引用だけして寝ます。

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以前あるフランス系の哲学者がこんな発言をしていたのを読んだ記憶がある。解釈学やハーバーマスが想定しているような「他者」は、しょせん解釈共同体内部の存在でしかない。その他者の他者性とはせいぜい、「あなたの本はこんな読み方もできますね」と、「意外な」解釈を提起してくる可能性をもつ、ということである。本をまったく読まずにばらばらにちぎったり燃やしてしまったりするような相手は、ハーバーマスらにとっては有意味な他者ではありえないはずだ。あるいはそのような相手は理性的な他者ではなく、「理性の他者」である、と。一方、例えばドゥルーズのように差異と他者性を真に尊重する哲学者であれば、自分の本を燃やす相手に大喜びして、どんどんやってくれと促すはずである、云々。【V】




それからマックス・ヴェーバーに関する議論ですけれども、このマックス・ヴェーバー解釈の議論に私は一度も参加したことがございませんし、今後も参加するつもりはありません。この議論には基本的な誤謬があります。それはマックス・ヴェーバーは一人であったという間違いであります。実際には何人ものマックス・ヴェーバーがいたのです。つまりマックス・ヴェーバーは様々なことを言っている何人ものマックス・ヴェーバーの集合体だった訳で、どの解釈が本当のマックス・ヴェーバーであったかというような議論はちっとも面白い議論ではなくて、誰でもがすきなものを持ちだしてくればいい訳です。【194-195】




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