スキップしてメイン コンテンツに移動

レミ『メモワール――1940-44 自由フランス地下情報員は綴る』






 法政大学出版会の『叢書・ウニベルシタス』シリーズの装丁が好きで、ふらりと立ち寄った古本屋なんかで安く売っているのを見つけると大した興味もない本でも買って読んでしまう癖がある。


 ナチス・ドイツ占領下のフランス国内で、レミという偽名を使って抗独情報活動をおこなっていた男が綴った『メモワール』という回想録もそのような経緯で読んだ。一言でこの本の内容をまとめておくと「第二次世界大戦中のスパイ日記」というところになる。だが、ここに綴られている日々や活動の記録は「スパイ」という言葉から想像される諸所の事柄(『007』的なサムシング)とはほとんど無縁であり、かなり地味。ほとんど毎日シャルル・ド・ゴールがいるイギリスへと無線機で情報を送っているだけである。にもかかわらず、ゲシュタポに捕まったらタダでは済まされないことは確実であり、地味なのに命がけ……という極限状態の記録はなかなか読み応えがあった。また、附録についてくる「ド・ゴール演説集」や「ナチス・ドイツをバカにする小噺集」も面白かった。


 「なぜ危険をおかしてまで、抗独情報活動へと参加するのか」。読みながら気になっていたのは、この点である。おそらくそれは「ドイツは必ず負ける。だから、反ドイツでいたほうが将来的に得する」というような合理的判断からおこなわれているわけではないだろう。危険をおかしてまで抗独情報活動へと人を向かわせる根幹には、愛国心が駆動しているように思われた。そこで思い返したのは姜尚中による「愛国」についての議論である。



愛国の作法 (朝日新書)
姜 尚中
朝日新聞社
売り上げランキング: 103060



 この本の中で姜は近代国家における国民の意味づけを「エトノス(感性的。自分が生まれた国だから愛するという態度)」と「デーモス(作為的。社会的契約によって紐帯が生まれる合理的態度)」とにわけている。ペタン政権や親独派フランス人を「売国奴」と罵るレミのメンタリティは、明らかに前者に属しているように思われた。しかし、姜の議論を参照すれば、レミが「売国奴」と罵る相手にも愛国心はあったと考えることもできるだろう――例えば、そこで「売国奴」たちに自分たちの自由を犠牲にしてまで、戦争を避けたほうが国益となる、という目的意識があったならば、ナチス・ドイツに協力することは「売国」と単純に呼ぶことはできない。こうなると、戦後多くの親独家(フィリップ・ペタンもまたしかり)が裁判にかけられ有罪判決をうけているという歴史的事実が果たして妥当であったのか、という疑問も生まれるだろう。





コメント

このブログの人気の投稿

石野卓球・野田努 『テクノボン』

テクノボン posted with amazlet at 11.05.05 石野 卓球 野田 努 JICC出版局 売り上げランキング: 100028 Amazon.co.jp で詳細を見る 石野卓球と野田努による対談形式で編まれたテクノ史。石野卓球の名前を見た瞬間、「あ、ふざけた本ですか」と勘ぐったのだが意外や意外、これが大名著であって驚いた。部分的にはまるでギリシャ哲学の対話篇のごとき深さ。出版年は1993年とかなり古い本ではあるが未だに読む価値を感じる本だった。といっても私はクラブ・ミュージックに対してほとんど門外漢と言っても良い。それだけにテクノについて語られた時に、ゴッド・ファーザー的な存在としてカールハインツ・シュトックハウゼンや、クラフトワークが置かれるのに違和感を感じていた。シュトックハウゼンもクラフトワークも「テクノ」として紹介されて聴いた音楽とまるで違ったものだったから。 本書はこうした疑問にも応えてくれるものだし、また、テクノとテクノ・ポップの距離についても教えてくれる。そもそも、テクノという言葉が広く流通する以前からリアルタイムでこの音楽を聴いてきた2人の語りに魅力がある。テクノ史もやや複雑で、電子音楽の流れを組むものや、パンクやニューウェーヴといったムーヴメントのなかから生まれたもの、あるいはデトロイトのように特殊な社会状況から生まれたものもある。こうした複数の流れの見通しが立つのはリスナーとしてありがたい。 それに今日ではYoutubeという《サブテクスト》がある。『テクノボン』を片手に検索をかけていくと、どんどん世界が広がっていくのが楽しかった。なかでも衝撃的だったのはDAF。リエゾン・ダンジュルースが大好きな私であるから、これがハマるのは当然な気もするけれど、今すぐ中古盤屋とかに駆け込みたくなる衝動に駆られる音。私の耳は、最近の音楽にはまったくハマれない可哀想な耳になってしまったようなので、こうした方面に新たなステップを踏み出して行きたくなる。 あと、カール・クレイグって名前だけは聞いたことあったけど、超カッコ良い~、と思った。学生時代、ニューウェーヴ大好きなヤツは周りにいたけれど、こういうのを聴いている人はいなかった。そういう友人と出会ってたら、今とは随分聴いている音楽が違っただろうなぁ、というほどに、カール・クレイグの音は自分のツ

2011年7月17日に開催されるクラブイベント「現代音楽講習会 今夜はまるごとシュトックハウゼン」のフライヤーができました

フライヤーは ナナタさん に依頼しました。来月、都内の現代音楽関連のイベントで配ったりすると思います。もらってあげてください。 イベント詳細「夜の現代音楽講習会 今夜はまるごとシュトックハウゼン」

桑木野幸司 『叡智の建築家: 記憶のロクスとしての16‐17世紀の庭園、劇場、都市』

叡智の建築家―記憶のロクスとしての16‐17世紀の庭園、劇場、都市 posted with amazlet at 14.07.30 桑木野 幸司 中央公論美術出版 売り上げランキング: 1,115,473 Amazon.co.jpで詳細を見る 本書が取り扱っているのは、古代ギリシアの時代から知識人のあいだで体系化されてきた古典的記憶術と、その記憶術に活用された建築の歴史分析だ。古典的記憶術において、記憶の受け皿である精神は建築の形でモデル化されていた。たとえば、あるルールに従って、精神のなかに区画を作り、秩序立ててイメージを配置する。術者はそのイメージを取り出す際には、あたかも精神のなかの建築物をめぐることによって、想起がおこなわれた。古典的記憶術が活躍した時代のある種の建築物は、この建築的精神の理想的モデルを現実化したものとして設計され、知識人に活用されていた。 こうした記憶術と建築との関連をあつかった類書は少なくない(わたしが読んだものを文末にリスト化した)。しかし、わたしが読んだかぎり、記憶術の精神モデルに関する日本語による記述は、本書のものが最良だと思う。コンピューター用語が適切に用いられ、術者の精神の働きがとてもわかりやすく書かれている。この「動きを捉える描写」は「キネティック・アーキテクチャー」という耳慣れない概念の説明でも一役買っている。 直訳すれば「動的な建築」となるこの概念は、記憶術的建築を単なる記憶の容れ物のモデルとしてだけではなく、新しい知識を生み出す装置として描くために用いられている。建築や庭園といった舞台を動きまわることで、イメージを記憶したり、さらに配置されたイメージとの関連からまったく新しいイメージを生み出すことが可能となる設計思想からは、精神から建築へのイメージの投射のみならず、建築から精神へという逆方向の投射を読み取れる。人間の動作によって、建築から作用がおこなわれ、また建築に与えられたイメージも変容していくダイナミズムが読み手にも伝わってくるようだ。 本書は、2011年にイタリア語で出版された著書を書き改めたもの。手にとった人の多くがまず、その浩瀚さに驚いてしまうだろうけれど、それだけでなくとても美しい本だと思う。マニエリスム的とさえ感じられる文体によって豊かなイメージを抱か