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村治佳織が奏でるドイツ・ロマン派の夕べ@麻生市民館大ホール



 上司に誘われて、村治佳織のコンサートを聴きに行きました。とても有名なクラシック・ギター奏者なので存在はもちろん知っていましたが、聴くのがこれが初めて(CDも聴いたことがなかった)。でも、素晴らしい内容でした。お姿も大変お美しくてですね(写真よりステージに立っている姿のほうがキレイ! これはすごいことですよ)、すっかりファンになって帰ってきましたよ。





 そもそも、私はクラシック・ギターのコンサートに行くこと自体初めての経験。最初「やっぱりギターって音量が小さい楽器なんだなぁ」と思ったのですが、二曲目からは耳のほうがギターの音量に慣れてくる。そうなってくると非常に繊細で、親密な音楽のように聴こえてきて「これもなかなか良いもんだなぁ……」と感じました。“初めての人”が村治佳織で良かったのかもしれません(ハァハァ)。





 コンサートは前半と後半で二部に別れていて、前半は村治佳織のソロ、後半はヤン・コボウというドイツ人のテノール歌手との競演でシューベルトの歌曲を、という構成。とくに後半が素晴らしかったです。後半は完全にヤン・コボウが主役という感じだったのですが、この歌手がとても素晴らしかった。とくに≪美しき水車小屋の娘≫は絶品で、言葉はもちろん分からないのだけれども、雰囲気だけでガンガンに心の柔らかい部分を突いてくるような表現に、何度も目頭が熱くさせられました。声質も瑞々しくて、ホントに良かったです。ドイツ歌曲を聴くのも久しぶりでしたが、聴いていてすごく心が温かくなる。コンサートでこんなに「ああ、温かい気持ちになるなぁ」という風になったのは、ずいぶん久しぶりかもしれません。





 最後にもう一度、村治佳織、めちゃくちゃキレイでした……。



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