菊地成孔『サイコロジカル・ボディ・ブルース解凍――僕は生まれてから5年間だけ格闘技を見なかった』

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菊地 成孔
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 菊地成孔による格闘技批評を読みました。これも大変面白く、ゲラゲラ笑いながらあっと言う間に読めてしまいます。収録されている文章は著者が「格闘技を見なかった五年の空白期間」の前後に書かれたもの。「前(九九年から二〇〇〇年)」と「後(二〇〇四年の大晦日)」では幾分文体が変化しているのですが、個人的には「前」の方がテンションが高く感じられ、より笑えます。平岡正明と蓮實重彦を足して二で割ったような文章だ……と読みながら考えていたのですが、それは筆者の筆力の高さだけではなく、格闘技(正確には、プロレス/総合格闘技)という対象と批評との相性の良さについても考えさせるものです。





 これを読みながら、プロレスや総合格闘技が持つ強い物語性・演出性を改めて感じることができましたし、ボクシングや相撲といった格闘技とプロレスや総合格闘技との世界を大きく隔てているのは、その物語性・演出性なのかもしれない、とも思いました。その意味で、すべてのプロレス/総合格闘技ファンは、単なる観客なのではなく、批評家なのでありましょう。彼らは、その試合の背後で動いている物語を読み解き、意味を解釈しようとする。あるいは、背後に存在する物語を生産することによって、意味を付与しようとする。試合という可視的なものの背後に、意味を設定するのです。おそらく、ボクシングや相撲の観客はそのようなことをしないでしょう。現に私はそのような見方をしません――とはいえ、私はあくまで軽度のプロレス・ボクシング・相撲ファンであり、総合格闘技にはまったく興味がない、という程度の見方しかしていないのですが。



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 ボクシングや相撲が、過剰な意味を帯びるのは本当に特別な試合(立合い)に限定されます。例えば、具志堅用高VSペドロ・フローレスの二度目の対戦であるとか。これが具志堅のWBA王座一四回目の防衛戦であり、かつ、防衛が果たせず、そして引退試合となった一戦なのですが、この試合は本当にスゴい。苦戦する具志堅の姿に、会場には悲壮感がどんどん募っていく。時代の、国民的な英雄が目の前で打ち倒されようとしている。これはもはや悲劇としか言いようがありません。





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