懐奘(編) 『正法眼蔵随聞記』

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正法眼蔵随聞記 (岩波文庫)
和辻 哲郎
岩波書店
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鎌倉時代に曹洞宗を開いた道元が折にふれて弟子たちに語った言葉を、その弟子のひとりであった懐奘という僧侶がまとめたのが本書。タイトルのものものしい漢字っぷりに読みにくそう印象をもつ人も多そうだが、中身は、道元が宋に留学していたときに聞いた話だとか、自分の先生だった偉いお坊さんの逸話で占められているので、特別に難しい本ではない。岩波文庫以外では現代語訳のものもでているが、岩波文庫のものもフリガナも振ってあるし、古い漢字もかなり手が入っているので、明治時代の日本の小説をじっくり腰を据えて読める、ぐらいの日本語読解力をお持ちの方であれば、不便なく読み進められるだろう。現代語に訳されると、もともとが持っていた言葉のリズムは失われてしまうので、かえって退屈して読みにくいかもしれない。

道元は逸話を通して、僧侶のあり方、仏の道の究め方を伝えようとしている。この内容は現代のビジネス書にも通ずるような気がしてとても面白い。乱暴にピックアップすると「我執を捨てよ!」、「とにかく頑張ればなんとかなる!」、「昔の偉い人も最初から聖人じゃない! みんな苦労してたんだからお前も頑張れ!」、「仏の道と決めたら、それだけに集中しろ!」、「坐禅しろ!」、「余計な時間を過ごしている暇はない! 集中しろ!」みたいな内容の話を繰り返ししていたようである。このピックアップの仕方だとビジネス書というか松岡修造みたいであるが、道元の実践主義というか、内面主義の徹底が伝わってくるところが面白いと思った。

頑張れ! 頑張れ! と言いながら、彼は見かけだけのものだとか、内容が伴わないものを強く批判する。例えば、たくさんのお経を覚えていたとしても、ただ覚えているだけではなんの意味もない。むしろ、覚えていたから俺スゴいでしょ、という我執につながる危険もある。そういう意味で道元と言う人は「言葉を信じていなかった人」、もっと言うと「知識を信じていなかった人」とも評価できるのかもしれない、とも思う。『正法眼蔵』という浩瀚な思想書を書いていた人物を、そういう風に読むのは適切かどうかわからないけれども、道元が語る空海の逸話もそうした一面を示しているのではないか。
伝へ聞く、故高野の空阿弥陀仏は、元は顕密の碩徳なりき。遁世の後ち、念仏の門に入て後、真言師ありて来て密宗の法門を問けるに、彼の人答へて云く、皆わすれをおはりぬ、一事もおぼえずとて、答へられざりけるなり。是らこそ道心の手本となるべけれ。
なにも空海はいじわるをして、質問に答えなかったわけではないだろう。言葉が必要ないところまで道を究めてしまったから、回答する必要がなかった。かつ、言葉や知識の向こう側に、到達すべきものがある。だから頑張れ! ということなのである。こういう態度はちょっとプラトンを彷彿とさせなくもない。例えば『パイドロス』において、プラトンはソクラテスを通して、文字への不信、書かれたものへの不信を表明している……などと言いたくなるのは、井筒俊彦の影響か……。

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