性犯罪者の心理の分析において本書では「犯罪の達成による自己評価の向上」という側面が語られる。これは恐ろしい世界だ。ただ、これは性犯罪というカテゴリーに限定した物言いでもないだろう。たとえば、常習的な万引き犯が「スリルを求めて犯行を重ねる」と いうようなことはよく語られる。しかし、これは外から与えられたストーリーでしかなく、本当はスリルの先にある「達成感」にフォーカスされるべきなのかも、とも思う。ドキドキが楽しいのではなく、ドキドキが終わったあとの解放を犯罪者は求めるのだ、と。しかし、盗みを働くことによって達成感を得ていた、盗みを働くことで(本来は悪いことなのに)自分の評価が高まった、というようなことは犯行をおこなった人物にとって「スリルを求めて」よりも告白しがたいものなのではないか。
本書の後半は、事例紹介も含めて、治療教育のプロセス・技法について語られている。治療というと、外部(治療者)からアクションを 与えるだけで治す、ようなイメージをしがちだが、ちょっと違っていた。細菌に対して、抗生物質で対処する、みたいな。けれども、本書が語るのは、治療者のアクションによって、悪しき欲望をコントロールするための抵抗力を被治療者に持たせるイメージに近い。それを強制的に被治療者に与えることはできないし、被治療者が犯罪なしでもやっていけるようになりたい、と思わなければ、治療は効果がない。治療者には「なりたい」と思わせる手助けぐらいしかできない、ところに治療の難しさを感じるのだった。むしろ、これは教育の難しさ、であるのかもしれないけれど。
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