神崎繁・熊野純彦・鈴木泉(編) 『西洋哲学史1: 「ある」の衝撃からはじまる』

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ちょっと前に本屋でこの本が並んでいるのを見かけて「哲学史についての知識を、ザックリとで良いから、体系的に頭にいれておきたいなあ」という長年の希望を思い出して読みはじめた。通史的だったり、発展史観に基づいて線でつながっていくような哲学史が描かれる本ではない(という話はAmazonのレビューにも書いてある)。技術や科学と違って、哲学に「発展的な歴史」はあるのか、といったところが疑問でもあるのだが(ソクラテスとプラトンとアリストテレス、だれがもっとも発展した哲学なのか? という問いかけはとても不毛に思える。もちろん影響関係をつなぐことはできるとしても)、テーマごとに記述された各論考はとても勉強になったし、そしてテーマごとに相互連関して、哲学史の星座が見えるようで面白い。
序論 哲学と哲学史をめぐって
1 パルメニデス
2 エンペドクレスとアナクサゴラス
3 古代ギリシアの数学
4 ソクラテスそしてプラトン
5 アリストテレス
6 ニーチェとギリシア
7 ハイデガーと前ソクラテス期の哲学者たち
8 「哲学史」の作り方―生きられた「学説誌(Doxographia)」のために
目次を引用したが、本書はまず時系列にすら並んでいない。1巻は「ギリシア哲学 の部 」とでも言えるだろうけれどアリストテレスまでくると、いきなりニーチェにぶっ飛ぶ。そしてその次はハイデガーへと進む。もちろん、そこでギリシア哲学の部が終了! となるわけではなく、後の哲学者たちがどのようにギリシアを参照したのか、という記述がおこなわれるわけである。現代の研究者たちは、ギリシア哲学をどう読んでいて、どんな解釈があるんですか、という話だけでなく、歴史のなかの哲学者がどう読んだのかを通して、多角的・多重的な歴史が示されるのが本書の特徴だと言えよう。

プラトンやアリストテレスのテクストは、網羅的にではないにせよ読んだことがあったけれども、いわゆる前ソクラテス期の哲学者に関しては勉強になるばかり。また「古代ギリシアの数学」は、哲学史というよりかは、哲学史の物語を数学史から批判する内容に思われてとても刺激的な読み物だった。あと、ニーチェの章に登場するワーグナーに関する記述なども面白く読んだ(かつてかの作曲家が文献学者を目指したこともあったんだって。逆にニーチェは作曲家になりたくて仕方がない文献学者だった)。

で、実は自分が最も強い印象を受けたのはハイデガーの章だった(わたしはこの大変有名な哲学者のテクストに直接触れたことがない)。 彼がギリシア哲学から掘り起こそうとした「存在」の哲学のプロジェクトの意図に、なるほど、彼はそういう哲学者だったのか、とまず勉強になった(当然その理解は本書の前半にある、前ソクラテス期の哲学者に関する記述を読んだから可能になったわけだけれど)。

でも彼の意図がなんとなく理解できたからと言って、すげー! 読んでみよう!! という気に駆られたわけではなくて。むしろ、「ギリシアの哲学者が語ったように、存在の多様性を掘り起こす」云々として記述されるハイデガーの意図からは「いや、でもギリシアの哲学者も『存在』ばっかり語ってたわけじゃなくね?」という反感に近いものを感じてしまうのだった。「存在の多様性」へのこだわる哲学って、多様性なくないすか、とかさ。そういう意味では「どんだけつまんない本なのだろうか?」という興味というか「読んでもまったく理解できないに違いない!」みたいな怖いもの見たさから『存在と時間』に手をだしてみたくもなる。

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