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19世紀のブルジョワはシュトラウス2世で踊ったのか?



Let’s get physical(日曜日の朝から憂鬱な僕は人生の七分の一を損している)


 こちらのエントリを読んで、「ウィンナワルツで踊る、という社交空間は実在したのだろうか」ということをふと思った。「ウィンナワルツの王」として知られるヨハン・シュトラウス2世の例をとって、少し考えてみたい。


 シュトラウス2世の生きた時代は1825年~1899年。ベートーヴェンの晩年(彼は1827年没)には既にロマン派が始まっていた、とするならばシュトラウスは生涯をロマン派とともに過ごしたことになる(彼が時代が20世紀に突入する直前に亡くなったのはなんだか暗示的である)。

 古典派とロマン派の時代で音楽家をとりまく環境は大きく変化する。まず、音楽家を経済的に支えていた基盤の部分。これが貴族(あるいは教会)から市民(ブルジョワ)へと変化する。ちょうどベートーヴェンはそういった変化の境目にいて、彼が若い頃は映画『アマデウス』に登場するモーツァルトのように見世物的/旅芸人的に貴族の耳を楽しませる「即興演奏家」として有名だったそうだが、後にブルジョワに組合を作らせて生活を補助してもらいブルジョワに作品を捧ぐという形で作曲を続ける商売をほとんど始めて確立した作曲家と言われているのは興味深い*1

 音楽家の経済基盤が変化したことに伴い、音楽が演奏される空間にも変化が生じている。貴族によって支えられた音楽家の音楽は、あくまで貴族による私的な空間(貴族の館であったり、お城であったり)だったのに対して、市民社会成立後の音楽家の音楽はもっとオープンな公共空間にて奏されることとなる――その公共空間というのがコンサート・ホールというわけである*2


 シュトラウス2世の音楽は、時代区分的に考えればコンサート・ホールで演奏されていたはずである。そうなればもう「ウィンナワルツで踊る」という図式は成立しない。あくまでシュトラウス2世の音楽は「ダンス・ミュージックの形式をとった芸術音楽」として演奏されており、ホントは踊りのための音楽じゃなかったんじゃなかろうか。


 今、全く資料をみないでこのエントリを殴り書いているのですごく適当な思いつきを書いてるだけだけど、自分で書いてて「あれ?結構ホントっぽくない?」とか思う。ウィーン・フィルのニュー・イヤー・コンサートの中継では、『美しき青きドナウ』のイメージ映像的にダンスする人の映像が流れたりするけど、あんなの全部デタラメで後世の我々が勝手にでっちあげた妄想に過ぎない……のかもしれない。


 とはいえ、社交場をかねるダンス空間が無くなったわけではないだろう。しかし、本当のダンス空間においてはもっとポップで踊りに適した音楽が伴奏音楽に用いられていそうな気もする。また、そうであるならばシュトラウス2世の音楽を「踊れないダンス・ミュージック」としてエイフェックス・ツインの先駆的位置に置くこともできよう(できねーよ!)。


 いい加減なことをたくさん書いてしまったけど、すべてシャンパンのせいだから水に流してください。




*1:これはこちらで紹介した本に載っていた話


*2:この辺はこちらで紹介した本に詳しい





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