スキップしてメイン コンテンツに移動

Youtubeで聴く!20世紀のヴァイオリン協奏曲




D


 全世界の日本語が読めるインターネット・ユーザーかつクラシック音楽ファンの皆様、こんばんは。また、そうでない皆様もこんばんは。当ブログでは、これまで幾度となくYoutubeで鑑賞することのできるクラシック音楽作品の映像を紹介してまいりましたが、本日は「20世紀のヴァイオリン協奏曲」に焦点をしぼり、さらに、その作品で最も美味しい部分を厳選してご紹介してまいります。


 まず初めはソ連の作曲家、ドミトリ・ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番。これは私が最も好きなクラシック作品のひとつでもあり、CDも20枚ぐらい持ってるのですが、この映像で演奏しているのはその20枚近い(数えてないので正確な枚数は不明)コレクションのなかでもベスト3に入ってくる演奏者、ヒラリー・ハーンによるものです(ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の来日公演の映像。会場はサントリー・ホールですね)。抜粋しましたのは、第3楽章カデンツァ(協奏曲におけるソリストの独奏部分)から第4楽章。静謐な音楽がじょじょに熱を帯びていく感じが堪らない……!



メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲
ハーン(ヒラリー) メンデルスゾーン ショスタコーヴィチ ウルフ(ヒュー) ヤノフスキ(マレク) オスロ・フィルハーモニー管弦楽団
ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル (2003/01/22)
売り上げランキング: 1211



 (CDのジャケットはゴスっぽい)ハーンの演奏はこれでも抑え目、というか超高度な技巧を持ってこの作品の暴力的な部分をコントロールしきった怪演です。他の演奏家による録音では献呈者であるダヴィド・オイストラフのものは文句なしに素晴らしい。また、少しマニアックなものになるとオレグ・カガンのものは、ハーンの真逆を行く濃厚さ(現在入手困難なのでしょうか、見つけたら即ゲッドをオススメいたします。カップリングのチャイコフスキーも素晴らしい)。



D

 続いては、ショスタコーヴィチと同じソ連の作曲家、セルゲイ・プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第1番(第1楽章)。ショスタコーヴィチもプロコフィエフもソ連の特殊な文化的環境において一時は弾圧を受けた受難の人ですが、空気を読んで体制が求めるような作品を書いていたショスタコーヴィチと違い、プロコフィエフは自分が好きなような作品ばかり書いていました。もちろん、それでプロコフィエフは余計自分の首を絞めることになるわけですが、このような空気読めなさは彼があまりに天才過ぎたことに起因しているような感じもします。この作品にも、新しい技法を模索する姿と美しいメロディを大量生産するメロディストとしての姿*1という彼の多面性が現れているのですが、結果としてよくわからない作品になっている(だが、それがいい)。これはある意味で、シェーンベルクよりも難解な作品と呼べるものでしょう。



Prokofiev: Violin Concerto No. 1; Miaskovsky: Violin Concerto, Op. 44
Nikolay Myaskovsky Sergey Prokofiev A. Gauk Kiril Kondrashin USSR Symphony Orchestra David Oistrakh
Classica d'Oro (2001/10/30)
売り上げランキング: 4425



 録音はやはりダヴィド・オイストラフのものでしょうか。オイストラフの豊穣な音色と歌い方によって、この難解さがうまい具合に解体されて提示されるような趣があります。動画のほうで演奏しているのは、ワディム・レーピンでしたが彼はオイストラフの直系にあたる演奏家。名教師、ザハール・ブロン門下生のレーピンですが、ブロンの先生にあたるのがイーゴリ・オイストラフで、これはもちろんダヴィド・オイストラフの息子です。やはりレーピンにはダヴィド・オイストラフから受け継いでいるものを感じる。



D


 さてソ連モノが続きましたので、次はアメリカに参りましょう。こちらは、エーリヒ・ウォルフガング・コルンゴルトのヴァイオリン協奏曲(第3楽章)。19世紀末のオーストリアに生まれたコルンゴルトは、10代にして天才的な作曲家デビューを果たし、その後もリヒャルト・シュトラウスを激しく嫉妬させるほどの活躍を続けるのですが、ナチによるユダヤ人迫害から逃れるために(彼はユダヤ系でした)アメリカに亡命します。古い映画に詳しい方ならご存知かもしれませんが、そこでは彼はハリウッド映画音楽をたくさん書き、受難から人生二度目の春を迎えるわけです(アカデミー賞も2回取っている)。彼の影響力は絶大なもので、ジョン・ウィリアムズのスコアにも、コルンゴルトの足跡が認められる――もし亡命がなかったら『スターウォーズ』のあの雄弁さはなかったかもしれない、と考えると歴史とは複雑なものだ、と思います。



Tchaikovsky, Korngold: Violin Concertos
Erich Wolfgang Korngold Pyotr Il'yich Tchaikovsky Andre' Previn London Symphony Orchestra Vienna Philharmonic Orchestra Anne-Sophie Mutter
Deutsche Grammophon (2004/11/09)
売り上げランキング: 21627



 新しい録音ではアンネ=ゾフィー・ムターのものが素晴らしいです(紹介した『スライドショー+音源』映像で弾いているのも彼女)。輝くようなムターの音色は、コルンゴルトのゴージャスなメロディにとてもよく映えます。古い録音ではハイフェッツのものが有名。でもこれはあまり録音がよろしくないので、ゴージャス感を味わうにはムターを取るべきでしょう。こんな素晴らしい作品が発表当時(第二次世界大戦後)に酷評されたというのは信じられません。



D


 続いてアメリカからは《弦楽のためのアダージョ》が有名なサミュエル・バーバーのヴァイオリン協奏曲(第2楽章)を。20世紀には「行き過ぎた前衛」への反発から「ネオ・ロマン派音楽」というムーヴメントが勃興しているのですが、そのムーヴメントに参加した作曲家のほとんどが原点である19世紀のロマン派時代の作曲家と同様に扱われていません――バーバーもネオ・ロマンティストのひとりですが、彼は一番の成功者だったかもしれません。この協奏曲には第3楽章に超絶技巧の独奏パートがあり、そこもカッコ良いのですが、バーバーの実力が最高に発揮されているのはやはり緩叙楽章でしょう。この咽び泣くようなメロディの美しさ!ロマンティックが止まらない!!



Barber: Concerto for violin Op14; Korngold: Much Ado about Nothing Op11
Samuel Barber Erich Wolfgang Korngold Andre' Previn London Symphony Orchestra Gil Shaham
Deutsche Grammophon (1994/08/16)
売り上げランキング: 24324



 録音はギル・シャハムのものがオススメ。サッパリとした解釈と明るい音色で作り出す清潔感のある音楽で定評があるシャハムの演奏は、紹介した映像で弾いているジオラ・シュミットのように咽び泣き系の演奏ではありませんが、巧くて素敵。あとオーケストラが良いです(指揮はアンドレ・プレヴィン。彼がコンチェルトの伴奏をやったときの土台作りは誰よりも素晴らしい)。


(続きます)




*1:彼が書いた美しいメロディはピアノ協奏曲第3番でも堪能できます。こちらに彼自身の演奏がありますので是非ご覧ください





コメント

このブログの人気の投稿

石野卓球・野田努 『テクノボン』

テクノボン posted with amazlet at 11.05.05 石野 卓球 野田 努 JICC出版局 売り上げランキング: 100028 Amazon.co.jp で詳細を見る 石野卓球と野田努による対談形式で編まれたテクノ史。石野卓球の名前を見た瞬間、「あ、ふざけた本ですか」と勘ぐったのだが意外や意外、これが大名著であって驚いた。部分的にはまるでギリシャ哲学の対話篇のごとき深さ。出版年は1993年とかなり古い本ではあるが未だに読む価値を感じる本だった。といっても私はクラブ・ミュージックに対してほとんど門外漢と言っても良い。それだけにテクノについて語られた時に、ゴッド・ファーザー的な存在としてカールハインツ・シュトックハウゼンや、クラフトワークが置かれるのに違和感を感じていた。シュトックハウゼンもクラフトワークも「テクノ」として紹介されて聴いた音楽とまるで違ったものだったから。 本書はこうした疑問にも応えてくれるものだし、また、テクノとテクノ・ポップの距離についても教えてくれる。そもそも、テクノという言葉が広く流通する以前からリアルタイムでこの音楽を聴いてきた2人の語りに魅力がある。テクノ史もやや複雑で、電子音楽の流れを組むものや、パンクやニューウェーヴといったムーヴメントのなかから生まれたもの、あるいはデトロイトのように特殊な社会状況から生まれたものもある。こうした複数の流れの見通しが立つのはリスナーとしてありがたい。 それに今日ではYoutubeという《サブテクスト》がある。『テクノボン』を片手に検索をかけていくと、どんどん世界が広がっていくのが楽しかった。なかでも衝撃的だったのはDAF。リエゾン・ダンジュルースが大好きな私であるから、これがハマるのは当然な気もするけれど、今すぐ中古盤屋とかに駆け込みたくなる衝動に駆られる音。私の耳は、最近の音楽にはまったくハマれない可哀想な耳になってしまったようなので、こうした方面に新たなステップを踏み出して行きたくなる。 あと、カール・クレイグって名前だけは聞いたことあったけど、超カッコ良い~、と思った。学生時代、ニューウェーヴ大好きなヤツは周りにいたけれど、こういうのを聴いている人はいなかった。そういう友人と出会ってたら、今とは随分聴いている音楽が違っただろうなぁ、というほどに、カール・クレイグの音は自分のツ...

土井善晴 『おいしいもののまわり』

おいしいもののまわり posted with amazlet at 16.02.28 土井 善晴 グラフィック社 売り上げランキング: 8,222 Amazon.co.jpで詳細を見る NHKの料理番組でお馴染みの料理研究家、土井善晴による随筆を読む。調理方法や食材だけでなく食器や料理道具など、日本人の食全般について綴ったものなのだが、素晴らしい本だった。食を通じて、生活や社会への反省を促すような内容である。テレビでのあの物腰おだやかで、優しい土井先生の雰囲気とは違った、厳しいことも書かれている。土井先生が料理において感覚や感性を重要視していることが特に印象的だ。 例えば調理法にしても今や様々なレシピがインターネットや本を通じて簡単に手に入り、文字化・情報化・数値化・標準化されている。それらの情報に従えば、そこそこの料理ができあがる。それはとても便利な世の中ではあるけれど、その情報に従うだけでいれば(自分で見たり、聞いたり、感じたりしなくなってしまうから)感覚が鈍ってしまうことに注意しなさい、と土井先生は書いている。これは 尹雄大さんの著作『体の知性を取り戻す』 の内容と重なる部分があると思った。 本書における、日本の伝統が忘れらさられようとしているという危惧と、日本の伝統は素晴らしいという賛辞について、わたしは一概には賛成できない部分があるけれど(ここで取り上げられている「日本人の伝統」は、日本人が単一の民族によって成り立っている、という幻想に寄りかかっている)多くの人に読んでほしい一冊だ。 とにかく至言が満載なのだ。個人的なハイライトは「おひつご飯のおいしさ考」という章。ここでは、なぜ電子ジャーには保温機能がついているのか、を問うなかで日本人が持っている「炊き立て神話」を批判的に捉え 「そろそろご飯が温かければ良いという思い込みは、やめても良いのではないかと思っている」 という提案がされている。これを読んでわたしは電撃に打たれたかのような気分になった。たしかに冷めていても美味しいご飯はある。電子ジャーのなかで保温されているご飯の自明性に疑問を投げかけることは、食をめぐる哲学的な問いのように思える。

2011年7月17日に開催されるクラブイベント「現代音楽講習会 今夜はまるごとシュトックハウゼン」のフライヤーができました

フライヤーは ナナタさん に依頼しました。来月、都内の現代音楽関連のイベントで配ったりすると思います。もらってあげてください。 イベント詳細「夜の現代音楽講習会 今夜はまるごとシュトックハウゼン」