ピーター・バラカン 『魂(ソウル)のゆくえ』

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魂(ソウル)のゆくえ
魂(ソウル)のゆくえ
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ピーター・バラカン
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絶賛ソウル・ミュージック強化期間であるがゆえ、読む。1989年に刊行されたピーター・バラカンのソウル・ミュージック・ガイドの2008年の増補・改訂版。これは大変面白かったですね。単なるミュージック・ガイド、ディスク・ガイドとしての本ではなく、サム・クック、レイ・チャールズ、ジェームス・ブラウンを語りの出発地点として置いたソウル・ミュージック史でありながら、その後のネオ・ソウルやヒップ・ホップまで延長されたブラック・ミュージック史であり、また、1951年ロンドン生まれの著者がリアルタイムで聴いてきた自分史とも重ねて語られているのが良かった。その自分史はロキノン(故snoozer)あたりが醸し出す、自意識に耽溺していく感じではなく、あくまで、自分が見てきた時代の雰囲気を描くものであって、そうした「このアルバムがリリースされたのは、こんなことがあって〜」という生の感覚はとても貴重な証言のようにも読めるのですね。同じ音楽を聴くにしても、人生のどの時期で聴くかでまったく音楽の聴こえ方が変わってしまう、ということはあるでしょうけれど、自分にそうした、リアルタイムの音楽を聴く感覚を味わってこなかったせいか、なんだか羨ましく思ったりもする(tdさんのブログを読んでいて羨ましい感じがするのも、同じ理由なのか)。

本書における歴史記述は「ミュージシャンBはミュージシャンAに影響を受けて〜」といったミュージシャンの創造性をなんとなく歴史として紡いだものではなく、当時のレコード会社の状況であったり、プロダクション・レヴェルでの話に多くのページが割かれている。音楽についての本、というよりは、音楽産業や音楽文化についての本、というほうが正確なぐらいに。それが、ミュージシャンを語るときの厚みを生んでるようにも思います。ミュージシャンについて語るときにはいろんなアプローチがあると思います。「とにかく楽器が上手い」とか「コード進行が変態的」とか「白塗りでファルセットで歌うのがスゴい(得意料理はレモン・タルト)」とか、いろんな。でも、その記述はあくまで評価ですし、音そのものが伝わるわけではない。音が聴こえない文章によって音楽に興味を持たせるには、なんらかのストーリーが必要なのかもしれず、そうだとするならば本書の「この音楽、聴いてみたい!」と喚起する源には、アーティストの裏側に存在していた歴史があると思います。逆に、音楽だけ先に聞いていて、この本を読んで「なるほど、これはそういうことだったのか」と思うことも多かったです(『ブルース・ブラザーズ』の人たちって、そういう人なの!? とか)。それが音楽の聴き方を変えてしまうかもしれない。音楽は音楽だけでも独立するものですが、なんらかの情報によって、聴く角度を複数持つことも可能である、という風に思います。楽理的な分析に基づく記述だけが音楽を記述する言語ではない。

それにしてもピーター・バラカン的な価値観、これはちょっと別な意味で面白かったですね。どの音楽が芸術的か、価値があるか、聴く人が勝手に決めれば良い、と言いながら「産業ロック」や「ディスコ」は評価しない(それは音楽の作り手がマーケットに売れるものを狙って作っているものだから)、というのはダブル・スタンダードなのでは、と思います。そもそもソウルですら、産業として成立したからこそ、盛り上がったわけであり「産業でなかった音楽ってなんだ!?」と考えるならば、もはや、未開の部族に伝わる儀式音楽ぐらいしか思い当たらない(クラシックだって立派な産業だったでしょうし、ましてや現代音楽など、現代音楽マーケットにウケるモノを書いている立派な産業と言えます)。でも、こうした一見矛盾した価値観が広く受け入れられていて、支持されたりもする。マーケットを意識したものは音楽として不純である、みたいな。「ブルーズ」「ジャズィー」って言ったりして。その「ホンモノ指向」が気になるんだ……。

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