ニクラス・ルーマン 「機能と因果性」

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ニクラス・ルーマンの1962年の論文「機能と因果性」を読みました(翻訳はいつものように三谷武司さんの私訳版)。これはそれ以前の機能主義への批判と等価機能主義という方法論をどのように使っていくかの話がワンセットになっている論文。なぜルーマンが等価機能主義に至ったかについては、それ以前の論文(『行政学における機能概念』、『経済的な行政行為は可能か』、『新しい上司』)を順に読んでいくとなんとなく、あ、この論文でひとつのまとめをおこなっているのだな、ということがつかめるのですが、内容はなかなかに難しい。現実の事象を分析するような話ではなく、現実の事象を分析する方法についてあれこれ言う感じなので、いわゆる一つの抽象度が高い議論、なのでしょうか、これは。ただ三谷さんの2006年の学会報告「ルーマン学説における等価機能主義とシステム理論の関係」の原稿草稿がネットに公開されていて、これを読むとこの論文でルーマンがなにを言おうとしてたがかなりつかめると思います。

論文は6節に分かれてます。1〜2節は、機能主義をひとつの説明ツールとして使用すること(三谷さんの原稿上では説明指向機能主義となっています)への批判がつらつらと。たとえば社会学者が社会でおこるなにかを分析していて「XにはYという機能がある」だとか「人がXをするとYという結果をもたらす」だとか言う。でもそのXがもたらすのは本当にYだけなの? だとか言えるし、じゃあ、なんでYを得るためにXをしなくちゃいけないのか、っていう原因がうまく説明できない。「Xをするのは、Yが必要だから」という同語反復的な感じで説明にならなくなってしまう。「なぜ、Xという機能があるの?」を説明するために、パーソンズはそもそも社会システムにはシステムを維持するための仕組みが備わっているんだよ〜、とか言うんだけれども、じゃあ、そのある機能がなくなったからといって社会が瓦解してしまうわけじゃないよね、ないならないで回ってしまったりするし、ってことでイマイチだ。

「機能主義って原因と結果を説明する道具としてはイマイチなので、別な使い方をしましょうよ」ということで、3節から等価機能主義がでてきます。原因と結果の組み合わせって無限じゃん、なので、どっちかを分析時のパースペクティヴとして固定してしまって、ある原因から生まれる無数の結果、ある結果を生む無数の原因を見ていきましょうよ、とルーマンは言う。すでにこの提案は「行政学における機能概念」でもおこなわれているんだけれど、そうした見方をすることで、ある行為やモノが同じ結果を生む場合、それは機能的な等価性があると分かる。機能的に同じならば、それらは交換可能なのであって、すると社会の別のあり方が見つけられたりするんじゃないの?

そのあとはもう一回、説明指向機能主義のイマイチさに言及したり、等価機能主義を使った分析をどう実証していけば良いのか、とかいう話がなされてます。どう実証するかはちょっと面白いですね。機能的な等価性がある! といっても実際に等価なものを交換して実験してみよう、というのは難しいわけですよ。でも、ある機能がなんらかのトラブルでいきなりなくなっちゃったときに、それを埋めるため別なことで代替する事象はあるわけで、それを見てみたり、あとシステム間の比較なんかも良いよね、とかルーマンは言っています。そこで似てるものじゃなくて、全然別なものが同じ機能をもっていた! とか分かると面白いよね、とか。

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