岡本源太 「イメージの哲学: ジョルダーノ・ブルーノとヴァールブルク」

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先日、東京大学駒場キャンパスでの展示「ムネモシュネ・アトラス: アビ・ヴァールブルクによるイメージの宇宙」について書きましたが、22日には関連イベントとして「ヴァールブルク美学・文化科学の可能性」と題されたシンポジウムが開催され、3名の発表者がムネモシュネ・アトラスに絡めての発表をおこなっています。このうち、岡本源太さんによる「イメージの哲学: ジョルダーノ・ブルーノとヴァールブルク」を聞くことができました。岡本さんのブログ「The Passing - 書物について」は以前からチェックさせていただいていましたが、個々の発表後の総合討議ではブルーノなどのルネサンス思想のみならず、アガンベンやディディ=ユベルマンといった現代の思想家までをカヴァーしながらキレキレのコメントをしていたのが印象的でした。以下(発表内容を細かくメモしていたわけではないのでうろ覚えなのですが)、記憶に残っている部分をメモしておきます。

岡本さんの発表は晩年のヴァールブルクによるブルーノ研究がどのようなものだったのか概観をまとめたものでした。ヴァールブルクがブルーノをどのように捉えたのか。当初彼はブルーノを合理的/近代的な概念によって思考をおこなおうとしたパイオニアと見なしていたようです。この読みには、ヴァールブルクのイメージ論が反映されていました。彼は、人間の思考がイメージによって縛られ、呪術的な力を持ってしまう現象を近代以前の図像から見ています。この図像から人々が受け取るであろう情念定型によるパワーから、解放された思想家がヴァールブルクにとってのブルーノだったんだとか。しかし、これはとても違和感が残る読みでしょう。とくにフランセス・イエイツ(彼女もまたヴァールブルクと非常に縁が深い人物です)によるブルーノ論を読んだ人にとっては。なぜならイエイツは『ジョルダーノ・ブルーノとヘルメス主義の伝統』『記憶術』で、呪術的なイメージを利用する人物としてブルーノを描いているように思われるからです。まるで、ヴァールブルクとは真逆ではありませんか。

ただ、ヴァールブルク自身が、ブルーノ研究を進めていくにつれて当初の認識を改めざるを得なかったと言います。ブルーノを近代の概念思考のパイオニアとして位置づけるのには、ちょっと無理があった、と。しかし、その後のヴァールブルクにとってもブルーノは、ただ単に呪術的なイメージに縛られる者ではなかったようです。そこで改訂されたヴァールブルクのブルーノ解釈は、イメージを利用することで思考を自由にしていく者として描かれる。このブルーノ解釈は、イエイツが描いたブルーノの姿と一致していくように思われました。岡本さんの整理によって、ヴァールブルクとイエイツとのあいだに受け継がれているテーマが明確になったのが、今回の個人的な収穫のひとつです。なお、岡本さんの発表時にオシテオサレテのクニ坂本さんが猛烈な勢いでメモを取っていたので、彼もなんか熱いエントリを書くんじゃないか! と期待しています。

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こちらは今回の発表の内容が含まれてる2011年に書かれた論考。

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