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悲しき、ヒステリック・サマー




券が売れず野外コンサート中止 白河で来月開催予定


 鈴木雅之や「DA PUMP」ら人気アーティストが出演し、福島県白河市で7月30日に開催する予定だった野外コンサート「ヒステリック・サマー2006inしらかわ」が、チケットの販売不振から中止されることが26日決まった。出演料の補償などで5000万円前後の損害が出る見通し。


 実行委員会によると、1万5000枚を目標にチケットを販売してきたが、20日現在で1100枚ほどしか売れていない。実行委員長の和知繁蔵・白河商工会議所会頭は「このままでは採算ラインの6000枚に届かず、中止せざるを得ない」と説明した。


 コンサートにはほかに、鈴木聖美やJAYWALKらが顔をそろえる予定だった。実行委は仙台、首都圏でもチケット販売を見込み、仙台と東京からはバスツアーが企画されていた。実行委は「チケットを購入した人には速やかに返金したい」と話している。連絡先は実行委事務局0248(24)5341。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060627-00000005-khk-toh



 私の地元、福島県でなんとも悲しすぎるニュースが。出演予定だった人たちもなんとも微妙なのがまたイタい。「白河市合併記念イベント」として催されたようだけれど、もうちょっと良い人選は無かったのか…と思う。心が痛むね。




 まるで地元自慢のようになってしまうけれど、福島県は決して「音楽」と無縁の土地ではないのである。場所は東北、かつて蝦夷が住んでいた蛮族の土地ですけれどね。クラシックでは小林研一郎(炎のコバケン、いわき市)、NHK交響楽団のヴィオラ・フォアシュピーラーでモルゴーア・カルテットメンバーの小野富士(福島市)などがいるし、他の分野では遠藤ミチロウ、大友良英など非常に濃ゆい人たちを輩出しております。あ、あとサンボマスター、山口隆とかバック・ホーンの人とか、あとラグ・フェアーの引地洋輔とか、一杯いるんだかんね!ふぐすまのごど、馬鹿にしてっど、ひっぱだぐがんな!!*1



「今度、白河も合併すっぺした。記念になんかやんねがい?」


「ほだない。つっても、なにやったらいんだべ」


「あれだ。今、ロックフェスっつーのが流行ってっぺぇ。あだのオラほのどごでもでぎんじゃねがい」


「おめ、いいごど言うなぁ。そしたら、早速やってみっぺ」



 実行委員会がイベントをやろうとした経緯を想像するに、こんな会話があったんじゃなかろーか。やるならミチロウとか大友良英とか呼んでフジロックと開催日重なっていても「やべーな。これ行かなきゃ」ってメンツで固めりゃよかったのにさ(地元色アピールしつつ)。




*1:ちなみに、小野富士、遠藤ミチロウ、大友良英、引地洋輔(あと俺)、同じ高校ね。この辺のスキゾっぷりが私の高校のキチガイっぷりを表しているのだが





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