モーダル/コーダル

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Hindemith: The 3 Piano Sonatas
Paul Hindemith Glenn Gould
Sony (1993/03/09)
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 ヒンデミットに魅了されてから、それなりの時間が流れた。





 出会いは何となく買ってみたシュナイダーハン(昔のウィーン・フィルのコンサート・マスターだった人)が演奏するヴァイオリン・ソナタ第3番だった。高校2年生。当時の私は、まだプログレに心酔していて「変拍子で世界は変わるのだ!」とよく分からない妄想に耽っていた田舎の高校生だったのだが、その繋がりで「現代音楽」と呼ばれるものに手を出し始めていた。今よりももっとイライラし易く、尖っていたため、とにかく「刺激的な音」に渇望していたのである。まー、現代音楽と言っても、新ウィーン学派とかは「むずかしーな…これ…」とほぼ投げてたんだけど。





 そんなときに出会ったヒンデミットの音楽は斬新に響いた。次の日から2週間ぐらい部活で「ヒンデミットすげーよ、すげーよ」と吹聴しまくってた記憶がある。で、その歳の誕生日に友達からバーンスタインが演奏する《画家マチス》、《弦楽と金管のための協奏曲》、《ウェーバーの主題による交響的変容》をプレゼントされて、ヒンデミット熱は加速した。





 今よりも語る言葉を持ってなかったから「なんだかわかんねーけどすごい」「こんなの聴いたことがない」というのが当時抱いていた感想で、とにかくヒンデミットの独特の和声進行に夢中になっていたのである。その時ばかりは、「この独特さの源はなんなのだ!」と普段はほとんど読まないCDの解説を読んだのだが、「新古典主義の作曲家で…」という紹介文とフルトヴェングラーを巻き込んだ「ヒンデミット事件」のことぐらいしか分からなかった。




 そして「ヒンデミット=新古典主義」と呼ばれるのがしっくり来なかった。何故ならストラヴィンスキーの《新古典主義》時代の作品と比べると明らかに、それが同じ言葉とは思えないほどの開きがあったからだ。ストラヴィンスキーの新古典主義が、単なる擬似バッハ、擬似ヴィヴァルディにしか聴こえなかったのに対して、ヒンデミットは「どこが古典なのだろう…」というぐらい新しい響きを持っていた。長らくその疑問が拭えなかったのだが、菊地成孔やアドルノの音楽関連の著作を読んでいるうちに、だんだんと私にとってのヒンデミットの「神秘的な響き」が、神秘的じゃないものとして捉えられるようになった。つまり、ヒンデミットの新古典主義は、教会旋法(モード)の復権、という意味で古典*1への回帰だったのである。





 もう少し菊地成孔に寄りかかって話をすると、ヒンデミットと同時代に行われた新ウィーン楽派の《12音/無調》という「音楽の前進」は、コーダルな実験だったと言うこともできる。当時の音楽界にコーダルな流れとモーダルな流れが分かれて存在していた、というのは結構興味深い。しかし、前者は後にトータル・セリエリスムへと向かうが、後者は特に後継者が無く消滅してしまったのは寂しい。ヒンデミットの実験を受け継いだ人物って聞いたことがない。メシアンは旋法を用いて曲を書いているけれど…。





 ↑にあげたのはグレン・グールドの演奏するピアノ・ソナタ全集。数多くの録音を遺したグールドだが、これはその中でもベスト5に入るのではなかろうか、という名演奏。特に第三番の最終楽章は圧巻。




*1:時代区分としての《古典》ではない





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