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家電を買いました




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 先日、会社の上司とハンバーグについてホットな議論を交わしました(当方はびっくりドンキーをソウル・フードと認めるほど根っからのハンバーグ党員であります)。上司によれば「売ってるひき肉は信用できない。本当にハンバーグ道を極めたければ、自分で肉を挽け」とのこと。かくもハンバーグ道は奥深いものなのか……と改めて感じた次第だったのですが、「早速私も」ということでフード・プロセッサーを購入いたしました(アマゾンで。3000円ぐらいから売ってるんだ……とびっくりしました)。まだ届いておりませんが、これが自宅のキッチンに備え付けられた日にはガンガンに使い倒してですね、ブログで音楽とか社会学の小難しい話をするなんか止めて、美味しそうな料理の写真をのっけて「どうだ!リア充だろ!!」とある種の人々のルサンチマンを煽り立てる嫌らしいブログを始めたいと思っています。



Kaz VICKS スチーム式加湿器 V105C
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 あと加湿器も一緒に買いました。ヴィックスが出してる「スチームしかついてません」というザ・加湿器なシロモノ(安い)。今住んでいる家がたいへん乾燥するんですけど(新築だから?)、これではいざ女の子を家に連れ込んで、いざコトにおよぼうとした夜などに「こんな空気が乾燥した家で服なんか脱ぎたくない!」とゴネられることが懸念されるので……まぁ、当方着衣でもOKなんですが、洋服汚したりすると後から面倒なのでできればそういったリスクは最小限に抑えておきたいと思います。これもまだ届いておりませんが、届いた暁には、湿った夜のご報告(加湿器だけにね!)をさせていただいてですね、「どうだ!リア充だろ!!」とある種の人々のルサンチマンを煽り立てる嫌らしいブログを始めたいと思っています(そしたらみんな[おもねり][じゃない][ものすごく][やーねー]っていうタグをつけてください)。





コメント

  1. そのスチームに欠点があるとしたら塩を入れなきゃいけない点と、電極が解けてもろもろになった奴が残った塩水に浮かんでて気持ち悪い点です。

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  2. 買う前に欲しい情報でした……。

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テクノボン posted with amazlet at 11.05.05 石野 卓球 野田 努 JICC出版局 売り上げランキング: 100028 Amazon.co.jp で詳細を見る 石野卓球と野田努による対談形式で編まれたテクノ史。石野卓球の名前を見た瞬間、「あ、ふざけた本ですか」と勘ぐったのだが意外や意外、これが大名著であって驚いた。部分的にはまるでギリシャ哲学の対話篇のごとき深さ。出版年は1993年とかなり古い本ではあるが未だに読む価値を感じる本だった。といっても私はクラブ・ミュージックに対してほとんど門外漢と言っても良い。それだけにテクノについて語られた時に、ゴッド・ファーザー的な存在としてカールハインツ・シュトックハウゼンや、クラフトワークが置かれるのに違和感を感じていた。シュトックハウゼンもクラフトワークも「テクノ」として紹介されて聴いた音楽とまるで違ったものだったから。 本書はこうした疑問にも応えてくれるものだし、また、テクノとテクノ・ポップの距離についても教えてくれる。そもそも、テクノという言葉が広く流通する以前からリアルタイムでこの音楽を聴いてきた2人の語りに魅力がある。テクノ史もやや複雑で、電子音楽の流れを組むものや、パンクやニューウェーヴといったムーヴメントのなかから生まれたもの、あるいはデトロイトのように特殊な社会状況から生まれたものもある。こうした複数の流れの見通しが立つのはリスナーとしてありがたい。 それに今日ではYoutubeという《サブテクスト》がある。『テクノボン』を片手に検索をかけていくと、どんどん世界が広がっていくのが楽しかった。なかでも衝撃的だったのはDAF。リエゾン・ダンジュルースが大好きな私であるから、これがハマるのは当然な気もするけれど、今すぐ中古盤屋とかに駆け込みたくなる衝動に駆られる音。私の耳は、最近の音楽にはまったくハマれない可哀想な耳になってしまったようなので、こうした方面に新たなステップを踏み出して行きたくなる。 あと、カール・クレイグって名前だけは聞いたことあったけど、超カッコ良い~、と思った。学生時代、ニューウェーヴ大好きなヤツは周りにいたけれど、こういうのを聴いている人はいなかった。そういう友人と出会ってたら、今とは随分聴いている音楽が違っただろうなぁ、というほどに、カール・クレイグの音は自分のツ...

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