ニコラウス・ステノは17世紀に活躍したデンマーク生まれの学者で、この『プロドロムス』という本は彼が書いた地質学、そして物体の生成についての本だ。フルタイトルは『ニコラウス・ステノニスの固体のなかに自然に含まれた固体についての論文への前駆』となっており『プロドロムス』というタイトルは「前駆」と訳が与えられている「prodromus」から取られている。ステノの本意は彼の固体論を大きな作品としてまとめることにあったが、その「序説」として書かれたのがこの作品なのだ。あくまで序説なので、本文は結構短い(いろいろと事情があって自分の研究成果を短くまとめる必要があったらしい)。だが、その面白さは作品の規模と無関係に伝わってくる。結局この後にステノは『固体論』を完成させることなく没するのだが、その未完の仕事が素人目にも惜しまれるほどだ。
今では昔の地層から化石が発見されたからと言って、そんなに驚く人はいない。そりゃあ、自分の家の基礎を掘ったらティラノサウルスの頭部の化石が出てきたら驚くけれども、我々は化石というモノを「昔の生き物の骨が石みたいになって残ったモノ」と常識的に理解している。しかし、ステノが生きた時代はそうではなかった。地面を掘って化石が出てくると「なんかよくわからん珍しい形をした石」として処理されていたのだ。例えば、マルタ島ではサメの歯の化石が発掘されたが、それは「舌石」(舌の形をした石)と呼ばれた。それと一緒に貝の化石が発掘されることもあったが、それは「貝の形をした石」として考えられた。それらは海から離れたところで発見されたので、誰もサメの歯や貝の化石だと考えなかったのだ。
では、どうしてそんなサメの歯や貝の形をした石が掘り出されるのだろう? こういう疑問をもっていた人たちは、自然の形成力を信じていて、海と似たような条件が地中のなかに揃うと形成力のおかげで、地中のなかにも似たようなものが生成される、という風に考えていたらしい。これはアリストテレス流の考えで「なんかよくわからんものは、よくわからんパワーによって生まれてくるのであろう」という思考である(アリストテレスも『動物誌』のなかで、ウナギは自然発生する! と力説していた*1)。
こうした考えに対してステノは「いや、それはやっぱりサメの歯なんじゃないの? 貝そのものなんじゃないの?」と主張した。今は海から離れた場所でも、昔は海だったから地中からそういうモノがでてくるんだよ! ほら聖書にも書いてあるだろ、昔、大洪水が起こった、って! というようなことを彼は主張する。そして、化石が化石であることを理屈づけるために、彼はその地形の変化する過程や、土のなかに化石が保存される原理を説明するのだ。化石から地球論や固体論が始まるこの飛び方がすごいのだが、内容もまた刺激的である。
とくに第4部「トスカーナ地方に見られる大地の変化」は素晴らしい。ここでステノは世界の創造から大洪水、地形の変化について説明をおこなうのだが、彼は「世界の創造は紀元前4004年」という学説を採用しているらしい。また、こんな風にも言う。「古代人たちの記述のなかの多くの誤りを非難するものは、多くの間違いを犯すだろう。私は、古代人の作り話のような物語を軽々しく信用しようとは思わないが、そこにはまた信を置けなくはない事柄もある」。そして、アトランティス大陸の沈没や、ユリシーズの遍歴のなかで綴られた土地は実在していた、と言うのだ。こうした説明からうかがえるのは、現在とはまったく違った思考の枠組みだ。
丁寧な訳註と解説もまた本書を魅力的なものとしている。とくにステノも参照しているアタナシウス・キルヒャーの『地下世界』という本について触れられている部分に大変興味をそそられた。翻訳者である山田俊弘氏は、千葉県の高校の先生で勤務校でだしていた紀要に訳を載せていたそうだ。これもすごい話。山田氏とは縁あって一度一緒にお酒を飲んだことがあるのだけれど、またお話をうかがいたいなあ、と思った。
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