ニクラス・ルーマン 「経済的な行政行為は可能か?」(1)

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ニクラス・ルーマンの1960年の論文「経済的な行政行為は可能か?」を読みました(翻訳はたけみた先生こと三谷武司さんの私訳版。読みたい方はルーマン・フォーラムの「いちから読む 最初期ルーマン読書会」か、三谷さんにお問い合わせください)。最初期ルーマンの論文についてはこれまで「行政学における機能概念」(1958)と「新しい上司」(1962)を読んでいますが、どうやったら意思決定・行為決定が可能なのか、どうすべきなのか、を検討するこの論文はとてもその後のルーマンっぽいと感じました(……とか言いながらルーマンを熱心に読んでいたわけではないですが)。

論文の内容については、タイトルにある通り。合理的な行政が求められてはいるけれど、そもそも合理化のための統一理論がないので行き当たりばったりになりがち、そもそも合理的に行政が何をするか決定するためのモデルなんかあるの? 経済的なことが合理的と言われるけど、それってホント? という検討からはじまっています。ルーマンによる「経済的」あるいは「効率的」の整理はこんな感じ。「所与の目的を最小の費用で達成する、あるいは一定の手段で最大の利益を上げる行為である」。

これ自体はとても常識的な基準だが、この経済的な基準をルーマンは「ある因果関係と他に可能な因果関係とを比較して評価するための基準」と呼ぶ。もうこの時点でギョッとするような言い回しで困るのだが、ある因果関係(技術に定評があるA工務店で、家、または物置を建てる)とある因果関係(安い早いが売りのB工務店で、家、または物置を建てる)を比較する基準とか具体化すれば良いのかな。今、家を建てたほうが良いのか、それとも物置を建てたほうが良いのか、A工務店を使えば良いのか、B工務店を良いのか。こうしたときに、考えるべきことが結果間の比較に限定することで分析は単純化する、ともルーマンは言う。

この例だと組み合わせが四つだけど、まあ現実には無数の結果集合があるはず。そこから何かを選ぶとき、よくやるのは価値観点を採用することだ。この価値観点とは「ある行為が実現する複数の結果の中で、特定のものに価値を与え、それを目的として正当化する」ことだ、とルーマンと続けています。その決定が最適だったら、それが合理的と評価される、と。そこでの最適とは結果間関係を最適化することが目指されます。「選択された行為が実現する有益・有害な結果集合と、他に可能なすべての行為がそれぞれ実現する有益・有害な結果集合との比率が最適」が理想。

しかし、こんな風に合理性を捉えるとすぐに比較に無理が出てきます。大体、すべての手段と目的を比較する尺度なんかないですし、あるとしたらそれはなにか別なイデオロギーが働いているハズです。そしてそうしたイデオロギーが決まってしまうと、矛盾しない価値順序ができてしまいそれは変更できなくなっちゃう。「安いのがイイ!」とか「高くても信頼性があったほうが!」とかそういうのがここではイデオロギーとして働いてしまうのですね。するとすべての結果集合を比較して最適を選ぶ、というのはなし崩しになってしまう。

(長くなってきたので、続きはまた今度)

追記:ニクラス・ルーマン 「経済的な行政行為は可能か?」(2)

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