久しぶりに長編小説を読みました。阿部和重の『シンセミア』は友人のあいだでもとても評判が良く、期待して読み進めました。序盤の説明的な記述がダラダラと続くところは個人的にしんどかったです、が、盗撮マニアの集団が「フィスト・ファックを撮影したい」という情熱を燃やし始めたあたりから一気に物語が加速しはじめ、そこからはとても楽しく読めた気がします。
山形県の神町という実在の田舎町を舞台に、町内政治と暴力と性と狂気によって物語が構築されていくフィクション、と一言でまとめられるでしょうか。登場人物ひとりひとりがフィクションを構成するモジュールとして積み上げられていき、クライマックスではそれらがすべてぶち壊される。慎重に積んでいったトランプのタワーを一気に崩す、というか、美しく積まれたシャンパンタワーを根元から金属バットで叩き壊す、というか、そうした破壊的な爽快感が素晴らしく、主要な登場人物が最終的にほぼ死亡する、という集結部はシェイクスピアの悲劇のようでもありますし、富野由悠季の『聖戦士ダンバイン』や『伝説巨神イデオン』を想起させなくもない。
地震、洪水、歓楽街で人々を跳ね飛ばすダンプカーなどまるで予言書のごとき記述が含まれ、近年の現実の慌ただしさに思いを馳せることもできましょう。この作品が単行本で発表されたのは2003年のことです。盗撮マニアたちが神町に張り巡らせようとした監視の目もまた、今の現実と呼応するかのよう。作品がこのような現実を想定してフィクションを構築したわけではないでしょう。むしろ、ここまで偽悪的に醜いフィクションを書けた、ということはこの物語が書かれた時代の現実がいかに牧歌的なものだったか、を示しているような気もする。
登場人物たちのセリフは音楽的に、訛りを文字化したもので綴られます。私は東北の生まれ(福島県で18年間暮らしました)ですから、この部分はネイティヴなものとして読めました。もちろん山形と福島とでは多少音や言葉が違いますが、この訛りを頭のなかで東北の音にできるかどうかは、この小説を楽しく読めるかどうかに大きく影響するのかも。
昼ドラ的なメロドラマの挿入もまた良かったですね。パルプ・フィクションであったり、キャンプなものであったり、エロもグロも全部入りの娯楽大作と感じました。
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