およそ一年越しでアリストテレスの『動物誌』を読了(上巻の感想はこちら)。およそ2300年前の哲学者が書いた生物学についての体系的な書物、というのはかなり堅苦しい紹介文になってしまうけれど、アリストテレスの書物のなかでも屈指の面白さでしょう。「自然界は無生物から動物にいたるまでわずかずつ移り変わって行くので、この連続性のゆえに、両者の境界もはっきりしないし、両者の中間のものがそのどちらに属するのか分からなくなる」といった記述は、まさに存在の大いなる連鎖! という感じで、アリストテレスの連続性の原理を反映するかのようですが、この書物をアリストテレスの哲学のひとつとして読み解かなくとも「昔の人はいろんな動物の生態を見て、いろいろ考えたんだなあ」というトリビア的読み方でも充分面白いです。上巻では「ウナギは自然発生する!」という驚くべき記述が見られましたが、下巻ではどうやらアリストテレスの時代からウナギの養殖が行われていたらしいことが分かり、へぇ〜、とか思いました。今、ウナギのWikipediaの項目を読んでみたら、日本においては「山芋が変じて鰻になるのだという俗説があった」とのことですから、和洋を問わず、古来からウナギって謎だったんだなあ、とか感心しますね。下巻の動物の生態や気質についてまとめている部分は、さまざまな土地から集まってきた動物についての面白エピソードが集まっているので必見です。
テクノボン posted with amazlet at 11.05.05 石野 卓球 野田 努 JICC出版局 売り上げランキング: 100028 Amazon.co.jp で詳細を見る 石野卓球と野田努による対談形式で編まれたテクノ史。石野卓球の名前を見た瞬間、「あ、ふざけた本ですか」と勘ぐったのだが意外や意外、これが大名著であって驚いた。部分的にはまるでギリシャ哲学の対話篇のごとき深さ。出版年は1993年とかなり古い本ではあるが未だに読む価値を感じる本だった。といっても私はクラブ・ミュージックに対してほとんど門外漢と言っても良い。それだけにテクノについて語られた時に、ゴッド・ファーザー的な存在としてカールハインツ・シュトックハウゼンや、クラフトワークが置かれるのに違和感を感じていた。シュトックハウゼンもクラフトワークも「テクノ」として紹介されて聴いた音楽とまるで違ったものだったから。 本書はこうした疑問にも応えてくれるものだし、また、テクノとテクノ・ポップの距離についても教えてくれる。そもそも、テクノという言葉が広く流通する以前からリアルタイムでこの音楽を聴いてきた2人の語りに魅力がある。テクノ史もやや複雑で、電子音楽の流れを組むものや、パンクやニューウェーヴといったムーヴメントのなかから生まれたもの、あるいはデトロイトのように特殊な社会状況から生まれたものもある。こうした複数の流れの見通しが立つのはリスナーとしてありがたい。 それに今日ではYoutubeという《サブテクスト》がある。『テクノボン』を片手に検索をかけていくと、どんどん世界が広がっていくのが楽しかった。なかでも衝撃的だったのはDAF。リエゾン・ダンジュルースが大好きな私であるから、これがハマるのは当然な気もするけれど、今すぐ中古盤屋とかに駆け込みたくなる衝動に駆られる音。私の耳は、最近の音楽にはまったくハマれない可哀想な耳になってしまったようなので、こうした方面に新たなステップを踏み出して行きたくなる。 あと、カール・クレイグって名前だけは聞いたことあったけど、超カッコ良い~、と思った。学生時代、ニューウェーヴ大好きなヤツは周りにいたけれど、こういうのを聴いている人はいなかった。そういう友人と出会ってたら、今とは随分聴いている音楽が違っただろうなぁ、というほどに、カール・クレイグの音は自分のツ
コメント
コメントを投稿