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ヒロ・ヒライ アダム・タカハシ 「危険な物質主義の系譜: アレクサンドロス、アヴェロエス、アルベルトゥス」

ヒロ・ヒライさんとアダム・タカハシさんがWebラジオで語りまくった「新春放談」をもとに作られた電子書籍を拝読(わたしの名前もチラッと出てくる)。「新春放談」本家の大滝詠一と山下達郎の自由闊達な雰囲気を踏襲するかのようなとても面白い読み物だった。主なテーマは「アダム・タカハシとは誰なのか?」「なにをやっている人なのか?」というお話。

7年かけて書いた博論を提出間際のひとりの研究者が、いったいなにを考えていているのか、などは一般的な興味をそそるところではないと思うのだけれど、博論を書く人というのは、こんな最先端を行かなきゃいけないのか〜、と感心した。「平均的な博論生」みたいな基準を知ってるわけではないから、アダムさんがすごいのかどうかはわからないし、内輪の話になっちゃうけど「筆が遅い」とか「日本語で書くとセクシーなのに……」とか怒られているところばかり知っているから、実はすごくないのかもしれない。いや、でも「こんなに読まれてないものがある」とか「わかってない部分がこんなにある」とか、そういうフロンティアへの取り組みの話って、たとえ門外漢であっても、ワクワクするし、面白く読める話だと思った。

特に人文系学問の世界のフロンティアって、あまり話題にならないじゃないですか。理系なら、iPS細胞が、とか、宇宙誕生の謎が、とか、炭素繊維が、とか、そういうところにフロンティアがあって、それはニュースにもなるし、『Newton』なんか手に取ったら毎回面白い話が載っている。開拓領域が周知されているのだ。それに対して、人文系の学問、とくに哲学など「もう大抵わかってるんでしょ」、「みんなやることなくて重箱の隅をつつくような研究してんでしょ」とか、そんなイメージ持ってるんじゃないでしょうか、大抵の人が。でも、この「放談」を読むと「いや、全然フロンティアあるよ」って話になる。しかも、それをやってるのが日本人だっていう。それはロマンあるでしょう。社会に貢献する話じゃないかもしれませんけども。

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