ヴァルター・ベンヤミン
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のちにハンナ・アレントは「当時、この論文を審査した人がまったく内容を理解できなかったのは、嘘じゃないだろ」と評しているのだけれど、まあ、それも納得の内容と言える。わたしも甘かったね、考えが。元は論文なんだから理路整然と理屈を積み上げていく論述スタイルをとっているのかもしれない、とか思って楽しみにしてたら、いつものベンヤミン節というか、ベンヤミンってゆりかごから墓場までベンヤミンであるな、と思った。読んだけれど、全然内容が頭に入ってこなくて、読んだうちにカウントしていいのかどうかも定かではない。
本人も冒頭でモザイク画のような論述を取るんだ、こういうスタイルをとるしかないんや! と宣言している。17世紀のドイツ悲劇に対して「これは『◯◯文学』だ」というカテゴリーに落とし込んで論じるのは、いくない、と言うのね。カテゴリーから零れ落ちちゃうものがあるでしょうよ、と。で、アレゴリーに対するあれこれを、すごく詳細に分析して、その詳細な分析を並べていく。
積み上げていって、最後に結論に到達する感じではない。詳細な分析は気が付いたら全然違う話になっていて、ホントに注意して読まないとなにもわからないまま終えることになるだろう。わたしがそうだったように。なんかぶっちゃけ、支離滅裂な感じに読めませんか。こんなことを言うと「お前が馬鹿だから読めてないだけだ」と言われるに決まっているけれども、わかりやすく一本の線でつながってく論理の流れじゃないじゃん。なんか多数の石ころで無理やり線を描いてる、みたいなさ。いろいろ乱反射しながら緩やかに前に進んで行く感じ。
そういう論述スタイル自体が哲学や批評の対象になっている部分はあると思う。正直、17世紀のドイツ悲劇って日本でどれだけ読まれているのか、と考えると、そういう意味ではほとんどこの本の「内容」ってどれだけ問題にされ得るんだろうか。パノフスキーやヴァールブルクに言及した部分や、デューラーの『メランコリア』に関する記述は、そこそこ人気があるテーマだとは思うけれど、それ以外、どうなんでしょうか。わかんないですけども。
とはいえ、これを読んでいて「あ、パノフスキーってベンヤミンと同じ年に生まれてるんだな」とか調べて気づくことはあったし(それがなにか? という話ではあるが)、読んでて「え、こんな人物にも言及してんの?」っていう名前が出てくるんだよね。たとえば、ユリウス・カエサル・スカリゲルだとか、パラケルススだとか、ネッテスハイムのアグリッパとか。どういう言及のされ方をしていたかはまったく覚えていないのが問題なのだけれども。そして、全体が理解できなくともベンヤミンの「部分」から「ほう!」みたいなひらめきの瞬間は時折あるんだよね。それを覚えていないだけで。
テオドール・アドルノは「ベンヤミンの特徴を描く」という論考で「判じ絵が彼の哲学のモデルとなる」と書いている。これはなかなか言い得て妙であると思ったよ。この表現が、ベンヤミンの哲学が判じ絵なのか、それともベンヤミンが判じ絵を読むようにして思考していたのかもわからないが、前者だとしたら、全体としてなにかまとまりは感じさせるが、なにをいっているかはよくわからない、部分のなかに、感心してしまうようなポイントが隠されているベンヤミンの特徴を表していると思うんだ。
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