Long Commentary on the De Anima of Aristotle (Yale Library of Medieval Philosophy Seri)
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Averroes
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宗教と政治の変化はアヴェロエスとその仕事に良い影響も悪い影響も与えていた。1184年、アル=マンスールが父親から地位を譲り受けると、『大注解集』が完成するまでのあいだ、アヴェロエスは厚い寵愛を受け続けた。彼は、セヴィリアの裁判官として、またコルドバの大裁判官としてアル=マンスールの父に仕えていた。しかし、1195年にアル=マンスールの不興を買ったアヴェロエスは、放浪の身となり、コルドバの近くのルセーナという町に逃げ落ちた。この短い放浪ののちに、アヴェロエスは名誉を回復するとマラケシュへと向かい、1198年に、そこで生涯を終えた。
この放浪の理由にはさまざまなめぼしい理由が考えられる。たとえば、アル=マラークシーの記述のように宮廷における陰謀と嫉妬の結果だとする説だ。アル=マンスールは当時支配的だったイスラム法学院の保守的な法学者たちの機嫌をとるためにアヴェロエスを追放したのだ。その一方で、アヴェロエスのアリストテレス主義者としての立ち位置が無視できないものとなっていたことを理由とする向きもある。
彼のアリストテレス主義的な見方は、各『注解集』や哲学的著作に限定されていない。1179年から1180年に書かれた彼の法学と神学に関する三部作、『決定的論考』 Decisive Treatise 、『宗教原理における証明集の説明』 Explanation of the Sorts of Proofs in the Doctrines of Religion 、そして『神的な知恵についての質問』 Question on Divine Knowledge と呼ばれる著作にはいずれも、伝統的なイスラム教の哲学的神学(カラーム)に対する徹底した批判的アプローチが色濃く反映され、またアリステレス主義的理性主義に強く影響されている。これらはアル=ガザーリーの哲学批判に対する回答である『矛盾の矛盾』によって直接的に引き継がれた。
短期間の放浪、そしてアヴェロエスの著作を焚書する命令が加えられた批難といったあらゆる説が、彼が書いたものを入手することに十分な悪影響を及ぼしている。しかしながら今日、彼の著作は非常に多くが現存している。ただ、最も重要な著作のいくつかはヘブライ語やラテン語の翻訳でしか発見されていない。アラビア語版があるもの、またはアラビア語から直接翻訳された現存する『大注解集』のテキストは、
- アラビア語版と、中世ラテン語訳があるもの: 『形而上学』と『天体論』
- アラビア語からのヘブライ語訳と、中世ラテン語訳があるもの: 『自然学』
- ラテン語訳のみ: 『霊魂論』
といった状態にある。『分析論後書』については、アラビア語版が残っているが不完全な状態であり、ヘブライ語訳からのルネサンス期のラテン語訳だけが残っている。
これらの『大注解集』は全体として、アヴェロエスがアリストテレスの教えに受けた非常に深い影響をあらわし、また彼自身の最円熟期の哲学的観点を物語る。とくに『霊魂論』、『形而上学』において、アヴェロエスは長年悩み続けてきた知性の本質に関する問題、そしてこの序文で第一に焦点をあてる哲学的な問題への最終的な解決をおこなった。
しかしながら、アヴェロエスの最終的な立ち位置を説明する前に、それ以前の彼がかなり違った観点を持っていたことを説明する必要がある。これは、その後に到達した新しい視点への文脈を提供してくれるだろう。
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