隠岐 さや香
名古屋大学出版会
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本書を開いた読者は、科学の社会的な意味の変容を目にするだろう。科学アカデミーの成立時の知識人たちは、学問を庇護することが王権の威光を高めるものとして国王の庇護を求めた。いわばメセナ活動として学問に投資してくれ、と言ったわけである。しかし、次第にそれは国のため、社会のために学問が必要だ、この学問は有用だから当然投資されてしかるべきなのだ、という主張に変化する。ただし、そこではすぐにその業績が社会に還元できそうな、今日でいう応用研究だけが称揚されたわけではない。基礎科学も同時に取り組まれるべきものとして知識人たちは訴えていた。
そこには「基礎がなければ応用は成立しない、だから、一見すぐには役立ちそうにないものでも取り組むべきだ」という正当化だけではない。当時、科学アカデミーの主導者であったフォントネルは、数学の有効性について「『秩序、簡潔さ、正確さ』などの価値を称揚し、それらが道徳、政治、批評、雄弁などの他分野の書物にもいい影響を与える」と述べている。役に立ちそうにないものでも、それが精神的な充足を与える。だから、「一見してあまり有益にみえない『好奇心をくすぐる以外の何物でもない部分』」も保護されて良い。フォントネルが保護しようとした学問のある部分は、今まさに切り捨てられようとしている部分と見事に一致する。
フォントネルの時代の科学アカデミーが行った科学の普及・啓蒙活動もとても興味深いものだ。今日で学術団体が発行する出版物を一般人が手にとることは大変稀なことだと思うが、当時の科学アカデミーの機関紙『科学アカデミー年誌・論文集』は、後半部分を専門研究論文、前半部分は「『数学や自然学についてごくわずかで表面的な知識しかない人々』に読まれることを前提」とする構成になっていた。その『年誌』の部分では、一般読者の目線が意識され、近年の科学動向に加えて、死去した会員を讃える伝記が記されていたという。そのエロージュという伝記部分は、フォントネルによって一種の文芸ジャンルとしても開拓されるほど人気を集めた。フォントネルたちは、社会に対するアピールを欠かしていなかったのである。
こうした活動とともに科学の有用性は広く認識されるようになってくる。18世紀後半になると、科学アカデミーの会員たちは、さまざまな社会問題を解決するための技術者・意思決定を助ける有識者として動員されるようになる。産学官連携みたいな関係ができあがるのだ。しかし、それによって科学アカデミーは性格の二重性のあいだで苦しむこととなる。「科学の共和国」と、社会に人材供給を行う「技能集団」という2つの顔の両立に、組織は耐えられなくなる。そんななかで、コンドルセが構想した科学者たちのユートピアは、本書で「限界を露呈した啓蒙の理想」が見出した「最後の居場所」として評価される。
しかし、そのユートピアは実現されることがない。その功績は、その後の科学の専門化に貢献しつつも、革命の混乱によって科学アカデミーの存在自体が潰されてしまうのだ。その理由がまた悲しいものだ。ポピュリズム的な運動で独裁政権を打ち立てたジャコバン派は科学アカデミーのメンバーを貴族的なエリート主義だとして激しく非難する。その弾圧は「王や権力者の味方」だったことも理由にされた。その背景には、国際情勢の悪化と戦争の開始もあった。要するに、社会的な余裕がなくなった瞬間、科学アカデミーが大事にしてきたはずの「好奇心をくすぐる以外の何物でもない部分」が目の敵にされてしまい、そのまま、潰されてしまった、ということである。政治活動もおこなっていたメンバーは、ギロチン刑にかけられ、コンドルセも獄死する。
この悲しい帰結が、日本の科学の将来を予言するものとならなければ良いんだけれど、と思うばかりだが、科学アカデミーを廃止した側の記述も大変興味深く読んだ。革命期の急進思想の形成に、今日では疑似科学として知られるメスメリスム(動物磁気!)が大きな影響を持っていたとか、すごく面白い。メスメリスムは科学アカデミーによって調査され、当時から既にインチキ扱いされているのだが、それが科学アカデミーに対する反感を高めることにもなったという。メスメリスムのオカルティズム自体にもそそられるのだけれど「カルトをカルトだとして潰そうとしたら、強烈なしっぺ返しをくらった」みたいな構図になっているのは恐ろしくもある。
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