テオドール・アドルノ『否定弁証法講義』(紹介&第1回講義メモ)

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否定弁証法講義
否定弁証法講義
posted with amazlet on 08.01.03
アドルノ 細見和之 高安啓介 河原理
作品社 (2007/11/23)
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 読み始めました。本はアドルノの大著『否定弁証法』が刊行される前に、彼がフランクフルト大学で行った「否定弁証法についての講義録」。ただし、全25回中、前半の10回までしかテープ起こし原稿が残っていないため、講義録は不完全な状態である。それを補うように、アドルノが講義中に参照していた「講義メモ」(これを見ながら彼は即興的に講義をおこなっていたらしい)を収録している。最初「『否定弁証法』入門って売り方してるけど、このマニアックさだと虚偽表示になっちゃうよなぁ……」と思ってしまったが、読んでいてだんだん面白くなってきた。特に講義メモ部分の読解は「テオ・マセロの編集が入る前の、マイルス・デイヴィスのスタジオテイク集」を聴くような面白さ。とても面白いので以下にざっくりと要約めいたものを書いておく(ほぼ自分用)。




 否定弁証法とはなにか。それは、アドルノがヘーゲルから批判的に継承した、それ自体で理論の形をなす概念である。否定弁証法とは、いわゆる建築的な論理の道筋をたどらない。テーゼとアンチテーゼが止揚されることによってジンテーゼとなる……というような体系的思考はここでは無用である(すでにその体系はヘーゲルにおいてさえも重要視されていないのだが)。いわば否定弁証法とは崩壊の論理なのである。また、そこでは概念における矛盾が中心的な役割を果たしている。


 概念における矛盾(例証)。「私が何らかの一連の特徴や一連の要素を一つの要素を一つの概念のもとに包摂する場合、それは通常の概念形成においては、それらの諸要素から互いに共通の一つの特徴が抽出される、という形で起こります。そして、この一つの特徴が概念であると言われます。すなわち、この特徴を有するすべての諸要素を統一しているものです。さてしかし、私がこの概念のものとに包摂するとき、つまり私が、Aとはこの統一的な特徴にもとづいてその概念のものとで考えられているすべてである、と語るとき、私は必然的に無数の規定のことも一緒に考えています。それらの規定は、個々の要素において、それ自体としてはこの概念に組み込まれないものです。したがってそのかぎりで、この概念はそれが包摂している当のものよりつねに劣っています。Aであると言われるすべてのBは、つねにまた他なるものでもあって、つねにA以上のもの、述語的判断においてそれが帰属させられている概念以上のものでもあります」(P.17-P.18)。A=Bであるというとき、BはAではない……という単純な理由によって、A=Bという判断はそれ自体において矛盾に満ちていると言わざるを得ない。


 我々の生きる社会を一つのモデルとするならば、以上のような矛盾はこの社会にも満ちている。しかし、我々の社会は「それが抱える矛盾とともに、あるいはそれが抱える矛盾にもかかわらず生き延びているのではなく、それが抱える矛盾を通じてこそ生き延びている」(P.20)のだ――「どの国々においても、社会的生産の非常に大きな部分を絶え間なしに、絶滅の手段に、とりわけ核兵器とそれにまつわるものに費やすことによってのみ維持されている」(P.21)。また、矛盾は客観的現実や客体の領域を規定するものでもある。





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