テオドール・アドルノ『否定弁証法講義』(第5回講義メモ)

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否定弁証法講義
否定弁証法講義
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アドルノ 細見和之 高安啓介 河原理
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 引き続き、第5回講義。題目は「理論と実践について」。第4回の最後で触れられたマルクスの「フォイエルバッハ・テーゼ」についての話から始まる。そこでは「哲学のアクチュアリティ」というテーマは引き継がれたままである。マルクスについての話が中心。以下、いつものように講義メモ。




 マルクスの「フォイエルバッハ・テーゼ」が掲げた暗黙の要求。「人間にとって異質な制度からの人間の解放を実現することによって」「たんに精神的な反省形式にすぎないものとしての哲学は不要になる」(P.76。引用部は第4回講義の内容)。しかし、この要求は果たされなかった。マルクスの構想は、思考にとっての理論から実践への移行を示すものだった。しかし、実践への移行は歴史的に失敗したのだ――だからこそ、我々はいまだに理論を無視することができない。「なぜそれが起こらなかったのか、なぜ起こりえなかったのかについて熟慮すること、こうした理論的な問いこそ」(P.81)アクチュアルな哲学の内容なのだ。


 また「フォイエルバッハ・テーゼ」を理論と実践の単純な二分法のように解釈することも大きな誤りである。純然たる実践主義、純然たる行動主義はマルクスによっても理論の欠如として批判されていた。マルクスには科学の概念があった。つまり「社会を理論的に把握しなければならない」という意思が彼にはあったのである。「マルクスが『これまで哲学者はただ世界を解釈してきたにすぎない』と言ったとしても、この『これまで』という語において。理論の放棄が単純に唱えられているのでは」(P.83)ない。


 哲学の実現とはなにか。「哲学は実際、芸術などとは違って、自分のうちで安らいでいる自立的な形成物ではなく、つねに何らかの事象的なもの、自らの外部、自らの思想の外部にある現実と関わるもの」(P.84)である。思想とそれ自体として思想ではないものとの関係、現実についての思考の行為それ自体がすでに実践的行為なのだ(メモ。ここで哲学にとっての現実とは何か、問いを行うことができるようにも思う)。


 後半は「性急な実践主義」(当時の学生運動など)に対しての批判(というか提言)が続く。「私は多くのひとがしているような仕方で実践という概念を用いていませんし、私の用い方はきっとみなさんの多くにとって魅力がないだろうと思います。その際私が考えているのは、実践を偽りの活動性と混同してほしくない、ということです」(P.94)。また、哲学はもはや観想、あるいは素朴な仕方へと戻ることができない、ということについても繰り返される。





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