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UNIQLOCKを見てがっかりしたこと



 UNIQLOCKのブログパーツから音楽が流れる、っつーことを最近になって知ったんだけども、そこで流れてる音楽はFPMの作品だった、ってことを知ってがっかりした。もしこれがFPMじゃなくて、PFMだったらがっかりしなかったのかもしれないがそれについては至極どうでもいい。私ががっかりしたのは一瞬「この音楽、もしかしてランダムに変化したりするヤツなんだろうか!?」って錯覚してしまったからである。なんかピコピコいってるんで、てっきり音楽のフレーズとかリズムパートとかがモジュール化されて、それがランダムに組み合わされることによって無限大のパターンが生まれるような……そういうファンタジーで魅せてくれるブログパーツかと思ってたら違うじゃんか!


 音楽がモジュール化されて、各モジュールが組み合わせ自由になっている……というアイデアはこれまでの音楽作品にも存在している。イギリスのなんとかっていう作曲家がまさに「モジュール・コンポジション」っていう概念を提示して「CDに短い音楽のパーツをたくさん収録し、何台かのプレイヤーでそのCDを同時にランダム再生することによって常に新しい音楽が現れる」という作品を製作していたし、大御所で言えばブーレーズの(何番か忘れたけど)ピアノ・ソナタには「これはどの楽章から演奏しても良いですよ」っつー曲がある。「管理された偶然性」ね。


 こういうアイデアを考えていくのって結構おもしろくて、アイデアだけ出すんで誰か実際に作ってくれないかなぁ、って思う。UNIQLOCKはなんか適当に映像が切り替わっていくけど、音楽のパーツがランダムに組み合わせられてあたかも即興演奏がされているような時計のブログパーツみたいなの、ちょっと欲しい。ちょうど長短合わせて調性は24個あり、1日の時間は24時間ある。なので、そのプログラムは1時間ごとに調性を変化させる(各音楽パーツは、調性を意識して製作されなくてはならない)……パーツはメロディ、ベース、リズムのパートに分かれてて各パートがパーツをランダムに選ぶことによって「完璧に協和的だけど、偶然の組み合わせで成立している音楽」が鳴り続ける……みたいな。id:raurublockさんあたり、サクッとこういうの作れないっすか。





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