Lorraine J. Daston Katharine Park
Zone Books
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このへんのエントリーで「読んでます」報告しているのを見ると、およそ9ヶ月ぐらいかかったみたいですが、ようやくロレイン・ダストンとキャサリン・パークの大著『Wonders and the Order of Nature 1150-1750(驚異と自然の秩序)』を読み終えました。これはなかなか大変な本でした。まず、大昔のラップトップ・コンピューターぐらいのサイズと重量があり、持ち運ぶのがツラい。「なんで、こんな大きな本持ち歩いてるの……」と呆れられること多数。ペーパーバックもあるのでそっちを買えば良かったんですが、日本のAmazonではマーケットプレイスでしか取り扱いなし。それから、日本語で言えば、ものすごい画数が多い感じで表現されそうな使用頻度が少ない英単語や医学用語など辞書を引くのが大変でしたね。これは「オシテオサレテ」の坂本さんも「あの本は難しいよ〜、むちゃくちゃ辞書引いたもん」とおっしゃってましたね。でも、面白かった!
一本足人、一つ目人間、二つの顔を持つ人、無頭人、犬人間 |
教皇ロバの図像 |
その一方、驚異は学術的な研究意欲、人間の知識欲に火をつける動機のひとつでもありました。アリストテレスは『形而上学』のなかで「驚異することによって、人間は哲学をはじめた」という言葉を遺しています。この言葉を継承するようにヨーロッパで、驚異が知を牽引する時代がやってきます。その現象には、時代が進むにつれて、前述のヨーロッパの外部にあった驚異はだんだんとその実効力を失っていったことが強く影響しています。情報伝達技術の発達と商人たちの活躍により、ヨーロッパの外部にあったはずの驚異はどんどん力が弱まっていく、つまり、犬人間や一本足の人間なんかいないじゃん、ということなんですが、逆に、ヨーロッパの内部で生まれた畸形の誕生が情報として伝えられるようになっていく。もはや驚異はヨーロッパの外部からやってくるものばかりではなく、ヨーロッパの内部でもうまれゆくものに変化するのです。こうしたヨーロッパの内部で発生した驚異に対して、当時の知識人がどのように反応していたのか、については「反−自然の概念 十六、七世紀イギリス・フランスにおける畸型の研究」のなかでも触れられている通りです。このあたりのトピックは、本書のハイライトのひとつであり、大変読み応えがあります。驚異が神の怒りを連想させ、道徳的な畏怖を与える、という認識も変化し、自然の秩序にも影響を与えていく。
驚異の部屋 |
頭から珊瑚が生えている女神 |
しかしながら、啓蒙の時代、科学の時代になってくると「驚異の部屋」でおこなわれるような驚異の珍重が批判の対象にあがっていきます。こうしたものにいれこんでしまうのは頽廃であり、無為すぎる、と。この時代、また驚異は変質していきます。珍しいものではなく、ありふれたもの(ありふれた自然の秩序)のなかに、知のフォーカスがあてられていく。それは現代に置ける科学と直接的に結びつくものです。言うなれば、日常のなかにある驚異があぶり出されていった、というところでしょうか。
以上、簡単に本書のトピックを紹介させていただきました。冒頭で、重量、ヴォリューム、難易度などについて触れましたが、さまざまな苦労を乗り越えてでも読む価値のある大変な名著でもあります。すでに高山宏周辺などでも認知されている本のようですが、邦訳でないのかな〜。
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