なぜかパリに向かう飛行機と、その帰りの飛行機のなかで『論語』を読んでいた。言わずとしれた孔子一門の言行録、というかありがたい発言集であり、およそ2000年ほど前に成立したザ・ベスト・オブ・自己啓発本、そして内容の抽象度が高いため、現代においてもいかようにも解釈できるため汎用性が非常に高い書物……というのが第一印象であり、なんというかこんな偉そうなことばかり言っている孔子と言う人間が「この人の下で政治をするのはなあ」と色々面倒くさがって諸国を遊説しながらアレコレし、途中で官僚として迎え入れようとする人もいるのに「や、アナタ、私よりも下の人間でしょ」と言わんばかりに話を断って、遂には政治の実権を執らないまま亡くなり、それはまるで様々な優良企業から内定をもらっているのに全部蹴って、仕舞に起業したあげく、鳴かず飛ばずで自死! あるいは、一生童貞のまま死亡! みたいな感じであるのに……それなのに後世に絶大な影響を及ぼした、というのがあまりに謎なのだが、逆にそうであるからこそ、君子の政治は難しい、不可能であるからこそロマンティック! みたいな話なのかもしれない。
岩波文庫に収録されているのは、漢文、読み下し文、それから現代語訳、という構成で大変読みやすいのだが、現代語訳の読みやすさはそれだけ致死量を増す。特に第7巻憲問第14 37章における
わたくしのことを分かってくれるものは、まあ天だね。という発言たるや、ナルシシズムの極地と言えよう。しかも孔子にとっては妖術・仙術の類いは君子の道から外れるものであり、天とは不可知、つまり認識ができない絶対的な知である。にも関わらず、天だけが私のことを理解してくれる、とはいかなるものか。妖術・仙術、こうした神秘主義はまとめて「鬼」という一文字で括られ、孔子においては顧みられることがない。孔子が重要視するのは、現実的な「仁」であり、あるいは「礼」であり、あくまでリアリスティックな方法論を体得することによって、実践される政治である。それはアレやコレやと認識の梯子をのぼることによって、イデアに到達せんというプラトン流の哲学とは異なるものだ。にも関わらず、孔子の弟子たちが描いた孔子の姿と、プラトンが描いたソクラテスの姿には、前述の「不可能であるからこそロマンティック!」という感じでつながりを見いだせなくもない。
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