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ゴミの中のディオニソス?




DNA on DNA
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posted with amazlet on 06.07.17
DNA
No More (2004/01/01)
売り上げランキング: 7,994



 ニューウェーヴだとかノー・ウェーヴだとか、そのあたりの音楽のことはよくわからないんだけれども、『No New York』に収録されているDNAとコントーションズだけは結構頻繁に聴いている。どちらのバンドもフロントマンが歌い、そして楽器を弾くのだけれど、その楽器の音が実にうるさくて、むちゃくちゃでよろしい。特にDNAはイクエモリの歩き始めのこどもみたいにヨタヨタしたドラムと、安っぽいシンセ音などが「ゴミの音楽だ!」っていう感じを演出していて、聴いていて脳が緩む。良いなー。





 「アート・リンゼイのギターを中心に据えるとかなりディオニソス的なんじゃないかな…彼の衝動が…」なんてしたり顔で語ることもできると思うんだけれど、このジャンクな音楽を聴いて「良いなー」と思ってしまう、という理由とは全く関係がなさそう。っていうか、こういうものを聴いて楽しくなってしまう、という説明はかなり難しいことだ(あくまで私個人の考えとしてだけれど)。似たような例としては、「プリンスの変な裏声のシャウト」とか「アルバート・アイラーのサックス」とかも「なんでこれが良いと思ってしまうのか」というのが説明できない。音楽の「意味」を考えることはできるけれど、「意味」と「音楽が気持ち良いかどうか」との間にはものすごい距離がある気がする。





 この半年ぐらいは《説明のできなさ》に挑もうとしている人たちについて考えている。





コメント

  1. アルバート・アイラーのサックスは「脳にクる」気がするんです。変に豊かな倍音。

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  2. そういうの分かるんだけれど、じゃあ、何故倍音が脳にクるのか、っていうのは説明できないでしょう(そういうのは菊地/大谷本のいくつかにも書かれているけれども)。その辺の語れること(例えば『変に豊かな倍音』と指摘すること)と語れないことの間で、どんな風に言葉が紡がれるか、っていうのを検証しているのです。

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  3. 感受性ってやつですか、言語でなく。A級でもC級でもないB級音楽嗜好の僕としては「変にクる」に共感します。
    現象学的なもんをもっと勉強したらまた来るよ!おじゃま!

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  4. 感受性…って別になんか哲学的なジャーゴンじゃないよね?そういうのはなんっつーか不毛だからなぁ…。よっぐわがりません。

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  5. カントだお!それにしても「ゴミの音楽だ!」は名言だな。出た。
    何一つほめることができないのに、それでもクルものはあるよね・・またぜひそのうちそのへんのネタでもりあがりましょう!

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  6. やっぱりカントか。時々無性にジャンクを聴きたくなるよね。ジャンク・フードも無性に食べたくなる瞬間がある。

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