クレンペラー(オットー) シュワルツコップ(エリザベート) ホフマン(グレース) ハインズ(ジェローム) ゲッタ(ニコライ) フィルハーモニア合唱団
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そういえば先日のAOBA NU NOISEだが、このイベントの主催であるkamadaくんは無類のテキーラ好きであり、イベントともなればボトルを一本お店に入れて、メーンに振る舞ったりしたあげく、明け方の宇田川町でキャタピラーのように丸まっていたりするナイスガイである。彼に記憶があったかどうかは不明だが、アルゼンチン人と飲み比べても負けないという芋煮ファンクの申し子であるから、なにも問題がなかったのだろうと思う。さて、この振る舞いテキーラ、私もいただいていたわけだが、その晩から常日頃溜め込んでいたテキーラ欲みたいなものが再臨界してしまったらしく、自宅にもボトルを一本買い込んでしまったのだった。
あいにく我が家にはレモンがなかったので、塩を舐めては、ショット・グラスに注いだ黄金の液体をクイッ、と煽ったり、またはビールで割ってみたり、と男らしい飲み方をしていたのだが、飲めば飲むほど魂の奥底に潜めた獣性が雄叫びをあげ、現世に転生する何回前かの人生において自分はアリマッチだったハズだ、というヴィジョンを感覚として理解できる。さきほどネットで調べたら、トマトジュース、そしてテキーラを順に口のなかに含み、口内でシェイクしたうえに飲む、という飲み方もある、と知って試してみたのだが、これは無限にテキーラが消費されてしまうのではないか、という魔界じみた飲み方であった。健康にも良さそうだが、歯茎からアルコールが回ってくる感じがして、人間のダメになりかたも激しそうだ。
そんなテキーラとはまったく関係なく、ヘンデルのオラトリオ《メサイア》を聴いていた。大バッハと同じ年に生まれたドイツ人作曲家で、主にイギリスで活動していたバロック音楽の代表的作曲家の人の大作である。ハレルヤ・コーラスが入っていることでとても有名な楽曲だが、全曲聴いたことがある、という人はクラシック・ファンでなければいらっしゃらないであろう。私が通っていた大学では、毎年大学のオーケストラがクリスマスの時期に演奏していたが(英国国教会系の大学であったため)、その当時、キリスト教文化的なものにあまり興味もなかったし、大学自体が嫌いだったため、学生時代はフルで聴く機会を常に逃していた。それをちょっとだけ後悔したくなるような大名曲であって、これをヤラれたら、感動してしまうよなあ、と思う。大バッハの《マタイ受難曲》と並んで一大宗教絵巻、とでも言えようか。ここぞというときに使用されるフーガもキマりまくっており、ラストのアーメン・コーラスなんか、ほとんど霊感が極まりすぎて別次元にいっている音楽だと思う。
演奏はオットー・クレンペラーの1964年の録音。こういうのを聴いていると、なんだか典型的なクラシック・オタクっぽい感じの、王道を進んでいるなあ、という感じがするが、王道の何が悪い! と吠えたくなるほどに良い。大時代的、という表現がよく似合う、暑苦しいほどに荘厳な世界ができあがっている。ブラームスの《ドイツ・レクイエム》といい、ベートーヴェンの《ミサ・ソレムニス》や交響曲第9番といい、合唱を含んだ楽曲におけるクレンペラーの巨大な音楽の作り方は、なんなのだろうか。性的なスキャンダルや奇天烈なエピソードに溢れた人が、こういう音楽をやってしまうのだから……私もテキーラを飲み続けてそういう境地にたどり着ければ良いのだが……。
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