『歎異抄』

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歎異抄 (岩波文庫)
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金子 大栄
岩波書店
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『歎異抄(たんにしょう)』は浄土真宗の祖、親鸞の死後にその弟子の唯圓という人が、師の言葉を後世に正しく伝えようとして書いた本。とくに意図なく読み始めたんですが、面白かったです。校訂者の金子大栄の解説がとにかく良い仕事しすぎ。唯圓の本文以上に親鸞がどういうことを考えて浄土真宗をたちあげたのかがわかります。もう解説と本文あわせて「これが親鸞だ!」と改題して講談社新書から出し直したほうが良いのでは。五木寛之が言及して、なんかいま流行ってるんでしょ?

「他力本願」というキーワードで親鸞の思想はまとめられていますが、これ、要は否定神学と予定説みたいな話ですよね。親鸞曰く、浄土にいくっていう本願は、自分の努力によって成し遂げられるものじゃない。その本願は阿弥陀如来のみが決定しているのであって、誰が浄土にいけるか、っていうのは、阿弥陀如来しかわからない(予定説)。かつ、仏っていうのは変幻自在で、形とかそういうのを超越した存在なので、たかが人間ごときが判断する善悪の基準とかで動いてない(否定神学)、よって普通の百姓も盗賊も殺人鬼も誰が浄土にいけるかわからないし、仏はホントに慈悲深いから、人間が考える悪党であっても浄土にいける人として選んだりする。

そこで親鸞は「念仏となえろ!」というのですね。これまた信仰のみが義である、というルターみたいだな、と思ったんですが、ただし、その念仏は唱えたからと言って良いというわけではないし、唱えても浄土への優先チケットがもらえるわけでもない。ここでの念仏の役割は阿弥陀如来がきっといつかは救ってくれるであろう、本願はきっとなされるであろう、ということを信じるために唱えるものです。念仏が現世での良いことを起こすわけでもないし、しかも、浄土への道も近くならない。でも、親鸞は「信じろ!」っていう。そうするとそのうち、我執からも解放されて、仏と一体になって救われるから! と。

親鸞の生没年は1173年〜1262年とあります。西欧でいうとアルベルトゥス・マグヌスよりも20年ぐらい先立って、だいたい同じぐらいの年齢で死んでいます……2人にはまったく関連性がないのでこれはどうでも良いですが、でもスコラ学はその後廃れるけれども、浄土真宗はまだバリバリの現役、っていうのがスゴいですよね。しかも日本で一番メジャーだ、っていう。末法思想が蠢く鎌倉時代に生まれたがゆえの、強さなのでしょうか。そういえばメランヒトンも「終末は近い!」とか言ってたんだっけ。乱世に発生する思想に共通するなにかが、浄土真宗とプロテスタントのあいだにありそう(幻視。そして、世界が乱れていなかった世の中っていつだったのか)。

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