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『紳士は金髪がお好き』(ハワード・ホークス監督作品)




紳士は金髪がお好き [DVD] FRT-176

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 マリリン・モンロー主演、ハワード・ホークス監督作品。また素晴らしい映画を観てしまった……。とにかく一言目に言っておきたいのはマリリン・モンローが超絶的に可愛い、っていうこと。「蛯原友里に似てないか、このマリリン・モンロー」と映画を観ながら思っていたのだが、たぶんそれは今朝観ていた『めざましテレビ』で、エビちゃんがすっげぇズレた感じで「もし自分が合コンに言ったら」っていう話をしていたのが脳内にフィードバックされていたからだ。

 今朝のエビちゃんはそれはそれはバカまるだしで、頭蓋骨に綿かスポンジでも詰まってるんじゃないか、と思うくらいだったのだが、この映画の多くの部分でマリリン・モンローはそういった白痴感満載の役を演じていて、その可愛らしさがとにかく最高。さらに、ズンと突き出たおっぱいとポッキリ折れそうな腰――まるでルビンの壷のごときスタイルで攻めてくるんだから、こちらとしてはもうお手上げである。たとえ「好きな作家ぁ?バタイユかなぁ?」とか飲み会で言っちゃっても、これはもう惚れるしかない*1

 ミュージカル映画としても秀逸で、アレンジも気が利いている。使われているものの多くは、当時円熟期に達していたであろうスウィング・ジャズ、ビッグ・バンドなのだがその音の豪華さは聴いていて無条件に楽しくなってしまう。また、映画の舞台がフランスに移った後のカフェでのシーンで歌われるフレンチ・ポップ風の楽曲は、映画上で流れている時間との絶妙な同期の仕方(ミュージカル的な『唐突さ』を感じさせない)も相まって痺れてしまう*2。あと全体的に、ミュージカルシーンでの「絵」の組み方がガチガチに構築されていてすごい迫力があって良い。



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 そういう構築の仕方があったからこそ、マドンナのPVに引用される理由ともなったのだろう、とか思う。構築と言えば、伏線の張り方もちゃんとしていて(観ていてすぐ『あぁ、こいつの正体はアレだな』と分かってしまうのだけれども、そういう分かりやすさも含めてちゃんとしている)、絶妙。以上、決してシネフィらない映画批評でした。ファック蓮實重彦!(嘘。ホントはシネフィルって何なのかよく知りません)


 




*1:どうでも良いけど飲み会で「好きな作家は?」って聞いちゃう男ってどうなの?本以外に趣味無いのか!って思う


*2:細かいところだとフランスでマリリン・モンローが歌うシーンでは間奏に《ラ・マルセイエーズ》の動機が用いられているところも上手い





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