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AGURA BOYZ JUSCO「AGURA BLUES」













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 (主に私が)待望の新曲。「あ、このコード進行シンプルで良いな」って適当に録ったギターに、あざけりソウルフル・ヴォイス。「夏祭りが終わった後に神社でエッチする中学生の話」というストーリーが、いつのまにかセンチメンタル過剰気味の歌詞になっていました(どこいったんだ、土ぼこりで汚れた浴衣の描写とか!)。以下に歌詞。



ちょっと難しいこと言ったり 分かったような口をきいて


利口そうなふりをしていたけど


自分があんまり賢くないってことが ようやく身に染みてわかった


嘘くさい、不器用とかそんな言葉では 慰めきれないくらいに


それがわかった 胸が痛い 胸が痛い 胸が痛い 胸が痛い 


もうきみがいない 胸が痛い もう君がいない 胸が痛い


胸が 胸が 心臓がなにか欠陥があるみたいに


掴まれたみたいに 痛みが消えない



 ギターのチューニングが合っていないのには、いつも録り終わってから気がつく。





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