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ベラ・バルトークの協奏曲




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 このところ、音楽関係のブログを読んでいてバルトークの名前をよく目にする。何故かと言えば、現・総理大臣である福田康夫がバルトーク好きを公言しているからである。有名な人が(意外にも)自分と同じ対象に趣味を持っているといった事柄に、オタクとかマニアとか言う人が過剰に反応するのは、普段は日陰にいる自分にもスポットライトが当たったような気分になるからだろうか……などと考えてしまうのだが、私も便乗してYoutubeでバルトーク関連の動画を貼らせていただこうと思う。


 それにしても(第二の康夫ちゃんであるところの)福田総理がバルトーク好きで脚光を浴びているのに(やっぱり、バルトークが好き、と言えるぐらいだからバルトーク・ベッラとか発音すんのかな?)、日本共産党の委員長である志位和夫がショスタコーヴィチ好きであるのは黙殺されている。あまりにも、そのまま過ぎるからか?――しかし、共産党員でショスタコーヴィチが好きであると公言するというところには、共産党に所属するという複雑な何かがあるように思われるよ……。


 冒頭に配したのは、ピアノ協奏曲第3番の第1楽章から第2楽章の途中まで(アンドラーシュ・シフのピアノ独奏、サイモン・ラトル/バーミンガム市交響楽団)。この作品はバルトークの遺作のひとつ。冒頭部はフランク・ザッパが『Make a Jazz Noise Here』でカバーしていたので、耳馴染みがある方がいらっしゃるかも知れません。バルトークらしくないと言えばらしくない極めて軽快な曲調だけれども、主旋律の裏で動く対旋律の動きが面白い。



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 しかし、この作品で最も素晴らしいのはなんと言っても第2楽章のこの部分。第2楽章は冒頭から、複雑に声部が分割された弦楽器が繊細なテクスチュアを織り成しており、そのざわめきのような流れがピアノの独奏によって中断され、整理されて再び音楽が始まる――この瞬間の緊張感にドキッとさせられる。この第2楽章は間違いなく、20世紀に書かれたピアノ協奏曲のなかで最も美しい楽章に数えられる、と思う。これが終わると、パーカッシヴなピアノが喚く民俗舞踏的なバルトークに戻るので、激しいバルトークが好き、という方も安心。


ヴァイオリン協奏曲第2番


 こちらはギル・シャハムの独奏によるヴァイオリン協奏曲第2番(ミシェル・プラッソン指揮イタリア国立放送交響楽団。動画が埋め込み無効となっているため、リンクのみの紹介とする)。先ほどのシフによる解釈がやり過ぎて安っぽくなるほどロマン過剰な演奏だったのに対して、こちらの演奏は洒脱である。シャハムの音色もそのような印象に起因しているように思われるが、このようなバルトークも悪くない。勝手な想像だが、福田総理はこんなバルトーク嫌いだろう。





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