今、私の部屋には轟音でギル・シャハムがバッハの無伴奏ヴァイオリン作品(何番かはわからない)を演奏しているのが流れている。NHKの音楽/芸術番組『芸術劇場』で、シャハムの演奏会の模様が放送されているのだ。シャハムといえば、先日、バルトークに関するエントリでお伝えしたように、現代のヴァイオリン奏者のなかで最も流麗で軽やかな演奏を聴かせてくれる演奏家のひとりなのであるが、今放送されているバッハは「ちょっとどうしたの?!」というぐらいに危うい。解釈以前の問題で、音程が取れていない。特に、重音や高い音への跳躍のときに腹の中でウゥゥッ!と悶えるような感覚が湧き上がってくるほどに危険な演奏を披露している――本当にどうしたんだろうか……?と心配になるぐらいにヤバい。「そもそものチューニングが狂ってるんじゃないか……演奏を始めてしまったからチューニングしなおせないのか?」と疑いたくなるような気持ちになっている。ちょっと、こんな演奏は録音では聴けないので興奮気味にブログを更新してみた。こういったはらはらとさせられるのも、音楽を聴く楽しみの一つなのかも知れないが――こんなにドキドキしているのは、2年前のフジロックでマイク・ラヴが歌っているのを見て以来だよ――ちょっとこれはすご過ぎる。本当にどうしたんだろう……。
昨日書いたエントリ に「クラシック・コンサートのマナーは厳しすぎる。」というブクマコメントをいただいた。私はこれに「そうは思わない」という返信をした。コンサートで音楽を聴いているときに傍でガサゴソやられるのは、映画を見ているときに目の前を何度も素通りされるのと同じぐらい鑑賞する対象物からの集中を妨げるものだ(誰だってそんなの嫌でしょう)、と思ってそんなことも書いた。 「やっぱり厳しいか」と思い直したのは、それから5分ぐらい経ってからである。当然のようにジャズのライヴハウスではビール飲みながら音楽を聴いているのに、どうしてクラシックではそこまで厳格さを求めてしまうのだろう。自分の心が狭いのは分かっているけれど、その「当然の感覚」ってなんなのだろう――何故、クラシックだけ特別なのか。 これには第一に環境の問題があるように思う。とくに東京のクラシックのホールは大きすぎるのかもしれない。客席数で言えば、NHKホールが3000人超、東京文化会館が2300人超、サントリーホール、東京芸術劇場はどちらも2000人ぐらい。東京の郊外にあるパンテノン多摩でさえ、1400人を超える。どこも半分座席が埋まるだけで500人以上人が集まってしまう。これだけの多くの人が集まれば、いろんな人がくるのは当たり前である(人が多ければ多いほど、話は複雑である)。私を含む一部のハードコアなクラシック・ファンが、これら多くの人を相手に厳格なマナーの遵守を求めるのは確かに不等な気もする。だからと言って雑音が許されるものとは感じない、それだけに「泣き寝入りするしかないのか?」と思う。 もちろんクラシック音楽の音量も一つの要因だろう。クラシックは、PAを通して音を大きくしていないアコースティックな音楽である。オーケストラであっても、それほど音は大きく聴こえないのだ。リヒャルト・シュトラウスやマーラーといった大規模なオーケストラが咆哮するような作品でもない限り、客席での会話はひそひそ声であっても、周囲に聴こえてしまう。逆にライヴハウスではどこでも大概PAを通している音楽が演奏される(っていうのも不思議な話だけれど)。音はライヴが終わったら耳が遠くなるぐらい大きな音である。そんな音響のなかではビールを飲もうがおしゃべりしようがそこまで問題にはならない。 もう一つ、クラシック音楽の厳しさを生む原因にあげら...
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