昨年は井筒俊彦没後20周年、今年は生誕100周年のアニヴァーサリーだったのですね、ということでいろいろ復刊であったりが続いている知の巨人であります。『マホメット』は井筒が昭和27年(1952年)に書いた本。当時38歳であった著者が「青春の血潮を沸き立たせた人物」について書き綴ったとても熱い作品でした。井筒先生、筆が乗りまくり、勢いありすぎで読んでいてとても面白い。井筒の本としてはかなり短い本で、解説(牧野信也による)には略歴も詳しくあって、初めての井筒本になかなかオススメかも。26歳で処女作『アラビア思想史』を上梓し、のちに『イスラーム思想史』と解題され、古典入りしてしまう天才が、ここまでロマンティックな表現を駆使しまくった本はこれ以上にあるか?!
「ムハンマドとはだれだったのか?」が本書の第一のテーマとなっている。だけれども、単なる伝記として語らないのが井筒らしい。まず、イスラーム以前のアラビア世界(イスラームからすれば正しい宗教がなかった『無道時代』)の知的世界/精神世界がどのようなものだったのか。そして、ムハンマドがアッラーという唯一神との契約にもとづく新宗教を興したことでそこにどのようなインパクトをもたらしたのか。これが本書の大きなストーリーになっています。井筒は無道時代の詩を引用しながら、砂漠のベドウィンたちの血縁によって繋がる社会のなかでの、酒と戦争とセックスという刹那的な現世の価値を追求する享楽的な世界観を描いている(井筒が訳しているタラファという詩人の作品がかなり最高)。一方、その刹那的な享楽主義は、どんな愉しみであっても死んだら消え去ってしまうし……という厭世とも隣り合わせなのです(だからこそ、この現世を謳歌しよう! という駆動力も生まれるわけですが)。井筒はここに、無道時代のアラビア世界の精神的いきづまりを見ている。
そこに現れたのがムハンマドだったのですね。彼もまた、この世の儚さを知っている人物でしたが、無道時代の人々が酒だ、戦争だ、セックスだ、とやりたい放題な方向に向かうのではなく、いずれやってくるハズである「審判の日」に対する恐れを導入することで、現世での抑制をもたらすのです。享楽的な現世主義者に対して警告を与えた人物としてのムハンマドが、無道時代の伝統とどのように戦い、また、ユダヤ教やキリスト教といった先行する一神教とどのように関わろうとしたのか。史料にもとづいて(おそらくかなり想像で補填しつつも)語られた、イスラーム誕生後のストーリーもまたエキサイティングな魅力を放っています。
コメント
コメントを投稿