山本新 『周辺文明論: 欧化と土着』

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周辺文明論―欧化と土着 (刀水歴史全書)
山本 新
刀水書房
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我が家でもっとも古い積ん読本を片付ける。これ、高校の国語の先生に薦められて大学生のころ、池袋のジュンク堂で買ったんだけれども、それからえ〜、9年ぐらいですかねえ……(そのあいだに3回の引っ越しした)、それだけ寝かせているとだんだん本にも良い味がでてくる……と良いんですが、あまり興味深く読める本ではなかったです。

著者はトインビーとかを日本に紹介していて、日本で「比較文明論」というジャンルを打ち立てようとした先生ということぐらいしかわからず、いま現在どんな風に評価されている本なのかも不明です。タイトルについてる「周辺文明」とは「ヨーロッパ」とか「中国」とか、ある地域の中心になる文明の周辺にあって、中心文明の影響を受けて育まれた文明のことだそう。文明というヒッジョーに大きな対象を扱っているので、話の粒度もかなりザックリにならざるを得なくなっている。

で、その周辺文明が一体なんなのか、が本の主題なわけです。しかしこれもとてもシンプルな話で、周辺文明は、外部の自分たちよりも強い文明の影響を受けざるを得ないのだが、影響を受け続けるなかで反動的に、土着的な伝統回帰志向も盛り上がる、この弁証法的運動があるよね〜、みたいな感じ。たとえば本居宣長の国学派とか? あるいは音楽でいったら東欧における国民楽派とか?……という風に、似たような事象は歴史上いろいろあって、筆者はそのいろいろな似ていること、似ている国を比較して、あれこれ言おうとする……のだがそこで言われていることが、比較しないと言えないことか〜? と疑問に思ってしまうのだった。

また、歴史の扱い方についてもなんだか考えさせられた。たとえば「明治時代に入って急速に西洋の文化を取り入れ、近代化した日本人は、その変化のスピードに耐えられず、その自我に歪みを抱えてしまった」などという記述はほとんどクリシェ化したものとも思われるし、本書のなかでもこの「歪んだ近代日本人の自我」説が採用されている。しかし、改めてこういう記述に出くわすと、一体どんな風に歪んだのか、どこまで一般化できる歪みなのか、っていうか、歪んでいたのはだれなんだ、と訊ねたくなってくる。

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