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David Bowie / The Next Day

The Next Day
The Next Day
posted with amazlet at 13.03.13
David Bowie
Sony (2013-03-12)
売り上げランキング: 218
デヴィッド・ボウイ、10年ぶりの新譜……である。Amazonからのレコメンデーションで日本版デラックス・エディションがきたとき神のごとき速度で予約注文してしまったわけですけれど、最初から通常版とデラックス・エディションの2ヴァージョンあるってどういうことなんだ!? と狼狽しつつ(上記リンクは輸入盤の通常版。tdさんはアナログ待ちでしょうか)、さらにAmazonから到着した段ボールの包装を破いてみると、仮のジャケット写真かと思ってた上記のジャケット写真が登場して仰け反ったりして、さすがボウイだな……感があるのですが、いや、もう、最高でしょうが、これは。冒頭から、ワチャワチャッとしたジャンル不定なミュージックが飛び込んできまして、うわ、なんかもう来たな、と思いました。


先行して公開されていた「Where Are We Now?」が、近年のピーター・ガブリエルの作品を想起させるしっとり系の楽曲であり、またこのPVにおけるボウイ氏の顔面の老け込み方から、ああ、なんか落ちついてる系の渋めのアルバムなのかな、と予想された方も多いかと思いますが、その予想をバッツリと裏切ってくる。さすがに声質には年波が感じられども、それが老化による劣化なのか、それとも熟成なのか。何とも言えない。ボウイ氏のヴォーカリストとしての不思議な存在感は健在、というか、先に名前を出しているピーガブ氏が先に得ていた「仙人系」の地位に達してしまっているのではないか。ヴォーカルが異様に後ろに引っ込んでる曲とかは、老化を紛らわすためなのか、とも思えるのですが、いやいや、ヴォーカルが後ろに引っ込んでる感じがより一層、楽曲の「デヴィッド・ボウイのアルバムっぽいサウンド・プロダクション」に馴染んでて、ボウイっぽい面白さがあったりもする。

非常にヴァラエティ豊かな楽曲が揃っておりますし、全体の構成としてボートラはあってもなくてもいい、しかし、ボートラの楽曲も素晴らしいので、なんでこれを捨てようとしたのか、ボウイ氏さすがに10年ぶりだからって気張り過ぎでは、とも思いつつ、個人的にはトニー・レヴィンのベースが堪能できる点も良いし、なんか、ロバート・フリップみたいなギターが入ってる!?(引退状態では!? まさか!?)と思ってパーソネル確認したらフリップ先生ではなかったのでガックリ、みたいなこともあった。しばらく、友達と「いや〜、デヴィッド・ボウイの新譜、良かったっすね〜」とか言いあって酒飲んだりしたい。

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