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ジョルダーノ・ブルーノ『無限、宇宙および諸世界について』




無限、宇宙および諸世界について (岩波文庫 青 660-1)
ブルーノ
岩波書店
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 一六世紀の修道士、ジョルダーノ・ブルーノの宇宙論『無限、宇宙および諸世界について』を読みました。これはマジで最高です。本当に面白い。最近、量子論などにも触れることができる本*1を読みましたが、ブルーノの世界観はそれらとも、あるいはスピノザの世界とも繋がるような気がします。「天体の運行は、すべて霊魂(アニマ)によってなされているのだよー」とか言われていている点は、現代科学からすれば「なんだ、オカルトじゃねーか」と思われそうですが、世界・宇宙・神の捉え方が大変面白い。あと、ずっとアリストテレスをDISっているところが良いです。「アリストテレスの説なんか信じてるヤツに何言っても無駄だよ。だって、あいつらバカだから、俺らの言ってることなんか説明しても無駄だって」ぐらいのことを、誇張じゃなく言っている。





 ブルーノからそこまでDISられているアリストテレスの宇宙論というのは、どういうものだったか、について簡単にまとめると、以下のようになるかと思われます。







  • 天体は地球の周りをまわっている(天動説)

  • 宇宙は有限(そんで七層に分かれている)

  • 宇宙の外側には何もない(虚無)





 これに対してブルーノはこんな風に言います。簡潔にまとまっている部分がありますのでまるごと引用しちゃいますね(P.64)。



私に言わせれば、宇宙は全体の無限です。なぜならば宇宙には縁も終わりもありませんし、これを取り囲む表面もないからです。が宇宙は全的に無限なのではありません。宇宙から採り出すことのその各部分は有限なものであって、宇宙のなかに包まれている無数の諸世界もその一つ一つは有限のものですから。また神は全体の無限です。なぜなら神はいかなる制限も属性も帰されることを拒絶する一にして無限なるものだからです。そしてまた神は全的に無限なるものとも言われます。神は全世界にくまなく遍在し、そのそれぞれの部分のなかで無限かつ全的に存在しているからです。



 引用文にもあるように、ブルーノの主張が大変面白いのは、我々が存在している宇宙のなかには無数の諸世界が存在している、という点につきます。我々が今現在いる世界は、単に我々が観察し、認識している「ある一つの有限な世界」に過ぎない、というのが彼の主張です。逆を言えば、我々が宇宙のなかの我々が認識していない部分には、我々の世界とはパラレルに「もう一つの有限な世界」が存在する、と彼は考えていました。このあたりは「シュレーディンガーの猫」的でもあります。また、引用部後半の汎神論的な記述は、やはりスピノザを想起させる。こんな風に考えていたばっかりに、ブルーノは火あぶりにあい、スピノザもあまり良い思いをしなかったみたいですが。



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