新版 吉兆味ばなし posted with amazlet at 16.03.29 湯木貞一 暮しの手帖社 売り上げランキング: 375,779 Amazon.co.jpで詳細を見る 湯木貞一は有名な高級料亭「吉兆」を開いた人。なんでも料理人として初めて文化功労賞に選ばれた、というのだから、いまや世界遺産である「和食」の文化を芸術の域まで高めた偉人のひとりなのだろう。本書では、湯木が雑誌『暮らしの手帖』の連載のために語っていた日本食に関する言葉の数々を堪能できる。 基本的には季節の食材をどのように家庭で調理したら良いのかを教えてくれるのだけれども、作法であったり、あるいは当時(1970年代前半)の日本人の食生活に関する小言のようなものも含まれている。腹さえふくれれば料理なんてなんでも良い、という家庭には「まるでボイラーに石炭を投げ込んでいるように食事をなさるご家庭が、だんだんふえてきているようで情けないことです」と嘆く。 こうした点も含めて、先日読んでいた 土井善晴の『おいしいもののまわり』 と似たことが数多く書いている。しかし、これは読む順番が逆、というのが正確なところで、似ている、というか、湯木の料理に関する哲学が、土井善晴にも流れている、ということなのだろう。「家庭料理はものの素直さというか、あんまりものをごたごたといじりまわして、複雑にしないということです」という湯木の言葉を、土井はそのまま受け継いでいる。土井は「吉兆」の流れを組む「味吉兆」で修行していたのだから当然というべきか。 『おいしいもののまわり』について書いたときに、土井が批判的にとりあげている「ご飯の炊き立て神話」について触れた。『吉兆味ばなし』には、この神話ができあがった謎を解き明かすような文章がある。 昔は法事というと料理人が法事をやる家に行って料理を出すものだったらしい。湯木はそこで「熱つ熱つのご飯を差し上げたい」というこだわりを持っていた。お坊さんがお経を読み上げたところで、すぐに炊き立てのご飯を出す。それでこそ、プロの料理屋なんだ、と。 一方で、湯木はこんなことも語っている。「このごろは手のかからないもの、早くできるもの、変わった料理、料理屋まがいの料理、そういうものを手あたり次第に家庭に持ちこむ」。「家庭料理はプロの料理...