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12月, 2015の投稿を表示しています

2015年に読んだ本を振り返る

 アーサー・モーリス・ホカート 『王権』  岡倉覚三 『日本の目覚め』   韓非 『韓非子』(1)    韓非 『韓非子』(2)  韓非 『韓非子』(3)   韓非 『韓非子』(4)   池田玲子 『ヌードと愛国』     ヒロ・ヒライ アダム・タカハシ 「危険な物質主義の系譜: アレクサンドロス、アヴェロエス、アルベルトゥス」   村上春樹を英語で読み直す 『スプートニクの恋人(Sputnik Sweetheart)』   菊地成孔 『ユングのサウンドトラック: 菊地成孔の映画と映画音楽の本』   ヴァルター・ベンヤミン 『ドイツ悲劇の根源』  大江健三郎 『大江健三郎自選短編』   E. H. Gombrich 『Gombrich on the Renaissance Volume 1: Norm and Form』   E.H. Gombrich 「The Renaissance Conception of Artistic Progress and Its Consequences」  E.H. Gombrich 「Apollonio di Giovanni: A Florentine cassone workshop seen through the eyes of a humanist poet」   メディチ家のパトロンぶりはいかなるものだったのか   レオナルドの構図作成法   ラファエッロの《椅子の聖母》   規範と形式  田崎真也 田中康夫 『ソムリエに訊け』     フアン・ルルフォ 『ペドロ・パラモ』   檀一雄 『わが百味真髄』  ジェームズ・フレイザー 『金枝篇』(1)    ジェームズ・フレイザー 『金枝篇』(2)   ジェームズ・フレイザー 『金枝篇』(3)  ...

酒井泰斗・浦野茂・前田泰樹・中村和生(編) 『概念分析の社会学: 社会的経験と人間の科学』

概念分析の社会学 ─ 社会的経験と人間の科学 posted with amazlet at 15.12.28 ナカニシヤ出版 売り上げランキング: 332,512 Amazon.co.jpで詳細を見る エスノメソドロジーの研究者たちによる論文集を読み終える。エスノメソドロジーというと(学生のときに受けた講義のおぼろげな記憶によれば)ヴィデオや録音によって会話や振る舞いを記録し、それを分析してあれこれ言う、みたいなものを想像していたのだが、編者があとがきで言うように、本書には会話分析は登場しない。本書の中心となっているのは、イアン・ハッキングが提唱する「ループ効果」だ。 ループ効果とは、 ・人々の分類・記述に用いることができる専門的な知識や概念や方法が日常生活に提供され、 ・分類・記述された当の人々によって、それらの分類・記述が、引き受けられたり・拒絶されたり・書き直されたりする 現象を指している。1)日常生活のなかから、専門的な分類や概念が抽出され、名付けがおこなわれ、2)その概念が日常生活によっても引き受けられる。3)その引き受けによって日常生活に変化が起こり、専門的な概念にも影響が発生する。具体的な例としては、各種のハラスメントがわかりやすい。今「○○ハラスメント」と新たな分類がさかんに生まれているけれど、専門的な概念を与えられることで、日常生活の書き換えが盛んにおこなわれている。ここには専門的知識と日常的な社会との関連がある。 本書に収録された論文はさまざまなフィールドで、こうした専門的な概念が社会に与える影響、そして社会から概念が受ける影響を記録している。「ほー、こういうのも社会学になるのかぁ(感心)」というのが第一の感想で、あんまりそれ以外言葉がないんだが「ハッキングってこういうことやっていたのかぁ」とか勉強になって良かった。

ウラジーミル・ソローキン 『青い脂』

青い脂 posted with amazlet at 15.12.22 ウラジーミル・ソローキン 河出書房新社 売り上げランキング: 272,678 Amazon.co.jpで詳細を見る ロシア(というか世界の)現代文学の鬼才中の鬼才、ソローキンの『青い脂』を読む。翻訳がでたのは2012年でだいぶ友達の海外文学好きのあいだでは盛り上がっていたのだが、これはたしかにスゴい。わたしの貧しい読書経験のなかでも、もっとも「え、こんなむちゃくちゃな小説があって良いのか!?」と大変な衝撃を受けた一冊。 なにせ、冒頭から、なんだかよく分からない未来のテクニカル・タームと中国語とが混じった書簡として書かれており(核戦争後の未来の中国化されたロシア語で描かれている、という設定)、リーダブルな日本語に訳されているのにまるで外国語を読むような読書体験を味わうことになるし、物語の鍵となる「青脂」という謎の物体、これがロシアの文豪のクローンが作品を書くとクローン文豪の体に溜まる、という設定で、書簡のなかにはクローン文豪によって書かれた、トルストイやドストエフスキー、ナボコフらのグロテスクなパロディも挿入される。さらには、物語はタランティーノの『デス・プルーフ』ばりの凶悪さによって、突然に断絶され、全然違う話になる……という嫌がらせのような構成が続く……のだが、一時もページを繰るのをやめたくない、と思わせる強烈な吸引力をもっている。 お下劣で、グロテスクで、醜悪な拷問や性描写もサイコーであり、とくにフルシチョフ × スターリンの男色シーンは本作のハイライトのひとつ(この時点で、未来のSF的舞台からどうつながるのか謎に思う方がいらっしゃると思うが、本作、あらすじをどう説明しても嘘になる)。よくもまぁ、こんなことを思いつくよ、と半ば呆れながら読んでしまった。ちょうどソローキンが生まれた国の作曲家、プロコフィエフは「聴衆を驚かすことしか考えていない」と言っていたが、ソローキンもまた同じポリシーの創作者なのではなかろうか。 作中で試みられている言語実験的な試みは、巻頭に引用されたラブレーを彷彿とさせる。が、この作品のあらすじをどう説明しても嘘になるのと同様に、どのような解釈をしても嘘、あるいは本当になりそうな感じがあって、また、そこがサイコーなの...

イグナチオ・デ・ロヨラ 『霊操』

霊操 (岩波文庫) posted with amazlet at 15.12.20 イグナチオ・デ・ロヨラ 門脇 佳吉 岩波書店 売り上げランキング: 234,911 Amazon.co.jpで詳細を見る イエズス会を創設したイグナチオ・デ・ロヨラがまとめたカトリック式瞑想の本。体を動かす「体操(exercicios corporales)」に対して、精神を働かせて整える「霊操(exercicios spirituales)」がある。これを通してロヨラは、神秘体験を得て、神の意志を見出すことができるとしている。訳者は、禅宗系の学校で禅の修行を取り入れた教育を受け、そこからイエズス会で洗礼を受けた人物。かなり詳細な解説がついていて、そこでは霊操と禅との共通点を指摘しながら、現代の日本人に理解しやすいものとしている……ようなのだが、本文よりも解説のほうが長いぐらいなので、ちょっと本文が入ってこない感じがする。 ともあれ、なかなか内容は面白くて。ロヨラは4週間にわたる霊操のプログラムをかなり細かく作っていて、一週目の何日目には、こういうことを心に思い描け、と具体的な指示が書き連ねられられている。たとえばキリストの受難の場面を想像せよ、だとか、聖母マリアのことを考えろ、とか。ロヨラは人間の想像力を一種の舞台として考えていて、そこに聖書の場面を設営するように指示している。そして、霊操者はただ、その舞台を眺めるだけでなく、まるで自分がそこで体験するかのように心を動かすことが必要なのだ。整えた心のなかに、入っていく、というこの入れ子構造がとても興味深く思ったし、 桑木野さんの著作 も思い起こさせる。 訳者による改題部分にあるロヨラの伝記的記述も面白かった。もともと騎士の家系に生まれて、バリバリの騎士道教育を受け、絶世の美女とうたわれたカルロス5世の妹、カタリーナに仕えることを夢見て、戦争で戦ったりしてたらしいんだが、あるとき戦いで大怪我を負い、それをきっかけに騎士道から宗教道に路線変更をした、とある。憧れの美女を考えているときは、考えているあいだはずっと良いんだけれども、考えをやめたときにものすげー寂しくなる。けれども、キリスト教のことを考えると考えをやめたあとにも寂しくないし、めっちゃ晴れやかになる! みたいな感じだったんだっ...

ルネサンス期の出版事情と検閲

The Cambridge History of Renaissance Philosophy posted with amazlet at 15.12.17 Cambridge University Press 売り上げランキング: 852,632 Amazon.co.jpで詳細を見る 引き続き『The Cambridge History of Renaissance Philosophy』を読む。第2章はPAUL F. GRENDLERによる「Printing and censorship」。ルネサンス期の印刷と検閲について大きな見取り図を与えてくれる論考である。 前章は印刷技術が急速に発展したルネサンス期にもマニュスクリプトが重要なメディアとして生き残っていた 、という話だったけれど、この章では200年ぐらいの時間をかけて、技術革新によって出版産業がどのように発展していったのかを明らかにしている。現代においてコンピューターや、インターネット、スマートフォンが人間の情報との関わりを急激に変えたような、劇的なイノヴェーションとくらべるとそのスピードはかなり緩やかに見えてくる。 本の大量生産が可能になったことは同時に、出版業者が大量の売れない在庫を抱えるリスクを生んだ。当然、出版業者としても売れない本をわざわざ印刷したくない。ルネサンス期にギリシアやローマの古典が見直されたのは、出版業者が「古典なら売れる数が大体予測できるし、売れ行きも良いだろう(なにせ、クラシックなんだから)」ということで次々に印刷していったことも要因としてある、という。歴史の見方の転換を促すような記述だろう。 著者と出版業者の関係についての記述も大変面白く読んだ。新刊なんか売れるかどうかわからないんだから、出版業者としてはものすごく有名な先生やベストセラー作家でない限りは出したくない。だから、当時の著者が自分の本を出すときは、基本的には自費出版で、原稿料も出ないケースが多かったし、印税契約などを結べたのもエラスムスのような人物だけだったらしい。自分で自費出版するお金がない人は、パトロンになってくれそうな人にその本を捧げて援助を申し出て、なんとか本を出していた。そんな負担を背負っても、当時は自分の本を出すことが大変な名誉だった。 コンテンツを...

ホメロス 『オデュッセイア』

ホメロス オデュッセイア〈上〉 (岩波文庫) posted with amazlet at 15.12.16 ホメロス 岩波書店 売り上げランキング: 53,114 Amazon.co.jpで詳細を見る ホメロス オデュッセイア〈下〉 (岩波文庫) posted with amazlet at 15.12.16 ホメロス 岩波書店 売り上げランキング: 74,184 Amazon.co.jpで詳細を見る 読んだことのないクラシックを読んでみるシリーズ。ホメロスは夏に 『イリアス』 を読み終えていたが、『オデュッセイア』のほうが面白かった。一応続編ということになっているのだが、『オデュッセイア』単独でも全然問題なく読めると思う(トロイア戦争の重要なことは大抵、『オデュッセイア』のなかで振り返られている。親切)。やはり歴史のなかで読み継がれているもののクオリティってスゴいな、と感心させられる。松平千秋の翻訳も大変に素晴らしい。 『オデュッセイア』というと有名なのは、20年にもわたる漂流生活のすえに祖国に帰還するオデュッセウス、だと思うのだが、読んでみたら実はこれは全体の半分のエピソードに過ぎないのだった。漂流生活のオデュッセウスは、怪物なんかに襲われたりして次々に部下を失い、最後はひとりになってようやく帰国するんだけれども、なんせ神様の血が入っている超人的な男なので、あちこちでモテる。仙女に見初められて、ベッドイン……とかまるでジェイムズ・ボンドかよ、的なモテ方をしていると思った。しかし、仙女に不老不死にしてあげるよ、と言われても、それを断り、毎日家に帰りたくて泣いている、という人間的な部分もある。超人性と人間性がうまく同居するオデュッセウスの人物はとても面白い。 オデュッセウスが不在のあいだ、彼の国では、帰国を待っている美貌の妻、ペネロペイアに求婚する男たちがオデュッセウスの家に毎日詰めかけて、どんちゃん騒ぎをしている。ペネロペイアは(夫は仙女と子供を作ったりしてるのだが)あれこれして求婚者たちの申し出を避けるのだが、彼らは主人がいないことを良いことにやりたい放題で、彼の財産を食い潰そうと言う勢い。それを息子であるテレマコス(オデュッセウスが戦争にでかけるときはまだ乳飲み...

鹿島茂 『パリの日本人』

パリの日本人 posted with amazlet at 15.12.11 鹿島 茂 中央公論新社 売り上げランキング: 248,911 Amazon.co.jpで詳細を見る 先日妻が買ってきた 安野モヨコの『鼻下長紳士回顧録』 (のパリの売春宿を舞台にした漫画)が大変面白かったので、積ん読にしてあった鹿島茂の『パリの日本人』を読む。安野の漫画の参考書籍にも鹿島茂の本があげられていたのだった。『パリの日本人』はこのタイミングで文庫化されるようだが、安野が参考書籍にあげている本ではない。が、安野の漫画にはパリに滞在する日本人が登場するし、ほとんど関連書籍みたいな感じと言ってよいであろう。無名の人から、著名政治家、皇族まで、太平洋戦争以前にパリで勉強した人物の交友録や状況を記録した興味深い読み物。

ルネサンス期のマニュスクリプト

The Cambridge History of Renaissance Philosophy posted with amazlet at 15.12.11 Cambridge University Press 売り上げランキング: 847,616 Amazon.co.jpで詳細を見る 『The Cambridge History of Renaissance Philosophy』を読み始めた。ルネサンス期の哲学についてさまざまな観点から書き起こした基本書ともいえる本。なかなかのヴォリュームなので面白そうな部分だけ拾い読みしていこうと思うのだが、最初の John F. D'Amico による「Manuscripts」の論考からとても面白かった。この本は、いきなり「ルネサンス期の人たちってどういう風に本読んだり、勉強したりしてたのよ」という、知的な文脈のとこから章立てられている。 D'Amico による論考は、なかでも手稿・写本について扱ったもの。 主旨としては、印刷技術がで始まっても手稿・写本といったメディアは大変重要なものとして残っていて、それはルネサンスが終わっても続いていたよ、というもの。印刷技術はたしかにインパクトがあるイノヴェーションだったけども、印刷よりもマニュスクリプトのほうが手軽だったから、知識を伝えるメディアとして有効なものだったし、結構息が長かったんだよ、的なことを語っている。 印刷技術だと、同じものを大量に作って配るということには適しているけども、版を作るのにコストがかかるし柔軟性に書ける。たとえば大学のテクストが毎年変わるんだとしたら? でも、学生はたくさんいるのでみんなに同じテクストを配布する必要はある。その微妙なニーズに応えるために、パリ大学では、一年ごとに偉い人たちの審議にかけてテクストの変更部分をチェックして、承認が降りると、改訂があったページだけ写本で作り、学生たちに差し替えさせるというシステムを構築していた、とか書いてある。 この論考、ルネサンスの哲学史というよりかはメディア史である。思想家のなまでがでてくるのは、だれそれがこんなマニュスクリプトを集めていた、とかそれぐらい。しかしながら、修道院や大学、あるいは私設図書館のあり方の違いだとか、出版業者がオン...

岡村靖幸 『岡村靖幸 結婚への道』

岡村靖幸 結婚への道 posted with amazlet at 15.12.06 岡村 靖幸 マガジンハウス 売り上げランキング: 1,943 Amazon.co.jpで詳細を見る 岡村靖幸が雑誌『GINZA』で連載していた「結婚とはなんなのか?」を著名人に聞いてまわるインタヴュー企画の書籍化。何度目かの逮捕後、近年ようやく安定的に仕事をしているるようで、しかもその粘度をもった作品の良さがまた黄金期を彷彿とさせるところにファンとしては安堵の念をいだいているところだけれど、この連載は、なかなか岡村ちゃんの痛さ、というか、ロマンティックな結婚観が感じ取られるような気がする。 インタヴュアーであるはずの50歳……の男性があらゆる人に「ホントに結婚したいのか?」と逆に尋ねられ「どんな相手が良いのか」と問われると「ジョン・レノンとオノ・ヨーコみたいな、クリエイティヴィティを刺激してくれるような関係が良い」と答える。この点、ずっと岡村ちゃんって一貫しているのだが、なんというか、そのファム・ファタル幻想、というか、ミューズ願望、というかがあからさまなところに、すでに結婚6年目に突入したわたしは「うーむ、結局それって話の合うお母さんを求めているんでは」と批判的になってしまった。究極的に言うと、登場するすべての男性のインタヴュイーの結婚観は、その「話の合うお母さん」そしてもうちょっと突っ込めば「話が合ってセックスもできるお母さん」が根源的な理想像になっている、というか。 だから読んでいて面白かったのは皆、女性のインタヴュイーの話で。大島渚を看取った小山明子の話は、まるで小津安二郎の映画みたいにキレイな話だと思ったし、内田也哉子の結婚、そしてあの両親の夫婦生活の奇妙さについての語りはマジックリアリズム的であるとも思った。もちろん、女性のインタヴュイーの話が面白く感じたのは、わたしが男性だから、逆に、というのもあると思うけれども「話が合ってセックスもできるお母さん」という男性の理想の平明さ、と比べると女性の結婚観の多様性がただただ面白かった。川上未映子は育児エッセイも良かったけども、ここでのインタヴューも良かったですね。

羽生善治(監修) 『羽生善治のみるみる強くなる将棋序盤の指し方入門』

羽生善治のみるみる強くなる将棋 序盤の指し方 入門 (池田書店 羽生善治の将棋シリーズ) posted with amazlet at 15.12.03 池田書店 売り上げランキング: 5,722 Amazon.co.jpで詳細を見る 引き続き、まだ将棋にハマりっぱなしで全然ほかの本が読めないでいる今日この頃である。一週間あまり将棋を指していたら、どうにか「全然将棋を勉強していないド初心者」が相手なら、オンライン対戦でまず負けないレベルになってきたが、いかんせん自分の戦術が「棒銀」しかなかったので、対抗するような戦術を取られると厳しくなる……という現状。そんななか、最強棋士羽生善治監修による「序盤の指し方」入門を読んだ。 ホントにこのシリーズって有益で。「どのように駒を進めていけば負けにくいか(そして、勝てるのか)」という理論を、イメージで理解させるのがとてもありがたい。定石や戦術を覚えさせるところから始まるのではなく、定石や戦術が「なぜ、負けにくいのか(勝てるのか)」の基礎的な部分を丁寧に説明してくれている。言うなれば、基礎科学的な説明が大半を占めているのだが、それによって「覚えなくても、考えればわかる」というレベルを読者に達成させていると思う。実際に羽生善治がどこまで関与しているのかわからないのだが、サラリと読んでいくだけでも、理解した気になれ、しかも、実際に対局すると自分が負けにくい実感があるのだからスゴいテクストだ。 戦術を覚えることは考える時間とリソースを省略する方法に他ならず、そこを押さえると制限時間があるゲームのなかで有利になるのは当然である。ただ、阿呆のように定石を覚えても、なぜ、それが良いのか、が理解できていなければ、このゲームの面白さは本当には理解できないようにも思う。そこをものすごくスムーズに伝えている。で、その基礎理論はごくシンプルなんですよね。そのシンプルな理屈から、様々な戦術が生まれていることには改めて将棋の奥深さを感じるし、ますますのめり込んでしまうんだ。