公共性の構造転換―市民社会の一カテゴリーについての探究 posted with amazlet at 09.09.01 ユルゲン ハーバーマス 未来社 売り上げランキング: 50630 Amazon.co.jp で詳細を見る 本日は第五章「公共性の社会的構造変化」について。後半戦の始まりでございますが、いきなりネガティヴな情報からいきますと、この本正直言って中盤から後半が結構読んでいてつまららない。『公共性の構造転換』といえば「コーヒー・ショップで……」云々といった第二章でのお話ばかりが引き合いに出されている、という印象がありますが、それも確かに頷けるところです。といいつつも、言っている内容については、そこまでつまらないというわけではありません。抽象的な話が続くので退屈なのですが、そこそこ面白いですよ。余談はこれぐらいにして第一六節「公共圏と私的領域との交錯傾向」に入っていきましょう。 何度か繰り返しておりますが、この論文を大変親切設計な感じで書いたハーバーマス。彼は、この節のはじめでこれまで分析されてきた市民的公共圏の変容について整理しています。うーん、マメですねえ。っていうか、前の章があんまり上手くまとまっていない感じがするので、必然だったのかもしれませんが。ここではハーバーマスによる整理を、もっとザックリやっちゃいましょう。まず、市民的公共性が公権力から離れ、自律的な「社会」を作る。このとき、国家という公権力は、社会の基盤にそびえ立つものにすぎません。言うなれば、小さな政府って感じなんですかね。これは第三章に対応しましょうか。しかし、一九世紀後半になるとだんだんと公権力がまた力を強くしていく。それどころか、今度は市民的公共性事態が公権力のような「権威」を帯び始めていくのでした。これは第四章でなされたお話です。そして、このとき、この節のタイトルである「公共圏と私的領域との交錯傾向」という現象をハーバーマスは認めるのでした。 ……民間人の交渉過程に公権力がおこなう干渉は、間接には民間人自身の生活圏から発する衝迫を媒介するものなのである。干渉主義というものは、民間圏内だけではもう決着しきれなくなった利害衝突を政治の場面へ移し変えることから生ずる。(P.198) で、この例としてハーバーマスは、一八七三年にはじまる大不況 *1 以来、自由貿易から保護貿...