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湯木貞一 『吉兆味ばなし 2』

高級日本料亭、吉兆の創始者、湯木貞一による語りを集めた本。『吉兆味ばなし』の1巻については 『新版 吉兆味ばなし』 という形で手に入りやすくなっているが、その続刊については新版が出ていない。「和食」が世界遺産になっているんだから「和食」を文化(そして芸術)にまで高めた第一人者による本ぐらい、もっと手に入りやすくなっていてしかるべきであろう……と難しい顔になってしまうぐらい良い本。季節ごとの食材について語り手があれこれ語る、その繰り返しで、春になれば筍だし、秋になれば松茸、と語ってることが毎年季節ごとに同じなんじゃないか、と思うのだけれども、その繰り返し、季節の循環が、和の時間感覚なのかも、とも思う。読んでいて、ああ、春が、夏が、秋が待ち遠しいなぁ、という気持ちにもなる。

辻静雄 『エスコフィエ: 偉大なる料理人の生涯』

辻静雄ライブラリーの本を読むのもこれが3冊目。こちらは19世紀後半から、20世紀前半にヨーロッパで活動した伝説的料理人、ジョルジュ・オーギュスト・エスコフィエの伝記。フランス料理史的には、この人が近代的な厨房のシステムを考え、合理的な調理法を考案し、それを広めたパイオニア、ということになろう。筆致は、ほかの辻静雄の著作と比べると、かなりスタティック、というか淡々としている。正直に言えば、大きなドラマを感じることはできない。エスコフィエが(当時としては)斬新な料理をいくつも考案した、と記述されているが、それがどんなものなのか、どんな味がするものなのか、についてそこまで詳しく書き込まれていない。グルメ本のようなものではないのだ。 が、エスコフィエの才能が、かのリッツ・ホテル(この名前は、すぐさまヴァンドーム広場の風景を思い出させる)のセザール・リッツの才能とがっぷり四つに組み合ったことによって、ヨーロッパの各地に素晴らしいフランス料理を出すレストランを併設したホテルが作られ、当地の文化人や金持ちのあいだで評判を呼んだこと、その「現場」が、各地に優秀な料理人を排出するスクールとなったことに注目すべきだろう。今日のフランス料理の種が各地に広がるシステムが、こうして出来上がっていったところにドラマを感じると面白く読めるハズ。

吉田健一 『旨いものはうまい』

旨いものはうまい (グルメ文庫) posted with amazlet at 16.09.17 吉田 健一 角川春樹事務所 売り上げランキング: 36,831 Amazon.co.jpで詳細を見る 英文学者、吉田健一による食や酒に関するエッセイをまとめた文庫本。この人の食エッセイを読むのは初めてだったのだけれど「どこそこのなんとかが旨い」、「あれを食べるのであればどこそこのものじゃなければならない」的なウンチクは皆無であって、もちろん、洋行で得た当時の日本人としては貴重な体験談が豊富に詰まっているとはいえ、いわゆる「グルマンディーズ」の文章ではない。筆者が書いている食に関する感覚は、庶民的とさえ言え「酒(日本酒)にあう肴は、白飯にも合う」だとか共感できる部分も多くて面白かった。 あと、戦中・戦後に食べるものが手に入らなかった時期に食べたものの話なんかが、すごく良くて。「人間は食つてゐなければ死んでしまふのだから、食はないで食つた振りをしなければならない通人などといふものになるのには、特殊な技術を身につけてゐなければならないのだらうが、食ひしんばうでだけはありたいものである。食ふのが人生最大の楽みだといふことになれば、日に少くとも三度は人生最大の楽みが味へる訳である」など至言も盛りだくさんである。 まぁ、とにかくすごい酒飲みだったみたいであるけれど、こういう人の感覚は信用できる。食べる楽しみを知っている人。

辻芳樹 『すごい! 日本の食の底力: 新しい料理人像を訪ねて』

すごい! 日本の食の底力~新しい料理人像を訪ねて~ (光文社新書) posted with amazlet at 16.08.30 光文社 (2015-05-15) 売り上げランキング: 126,059 Amazon.co.jpで詳細を見る 辻調グループ代表、辻芳樹が日本各地の料理人や農家を取材した本。無農薬や自然農法で良い野菜を作る農家と、その農家と強くて深い関係を結び独創的な料理を作る料理人のエピソードを中心としつつ、ブラック業界なイメージの強い料理人の世界で、人材育成に力を入れてお店を経営している人物などが紹介されている。 各エピソードは、一言で言ってしまうと『カンブリア宮殿』や『ガイアの夜明け』っぽさがすごいのだが、まぁ、面白かった。著者の父親である辻静雄は、大変な名文家であったけれど、その才は受け継がれている(が、辻芳樹のほうがビジネスライク、というか、クレヴァーな印象を受けた。狂気じみた料理への情熱が父親の文章からは伝わってくるのに対して、息子はジャーナリスティック、というか)。 地方の野菜を使って、1日1組しかお客をとらないレストラン、だとかが出てくる。コースは最低でもひとり1万円。特別に高いわけではない、けれども、もちろん、日常的に通えるレストランではない。地方の疲弊、が伝えられるなかで、そういう地方力を掘り起こしながら頑張っている人たちがいることは素晴らしい、と思う。 しかし、こうも思う。「こういうお店に行ける日本人が今やどんどん少なくなっているよね、日本人がどんどん貧乏になっているんだから」と。SNSで消費者と触れ合いながら野菜を届ける生産者もそう。要するにこの本で紹介されている生産者も料理人も「食に対して意識が高い、一部の小金持ち」を相手にした商売でしかないのだ。興味深い仕事ではある、けれども、安くてお腹を満たしてくれて毎日通えるお店、毎日食べられる野菜を作っている人たちのほうが(意識は低くとも)立派な仕事をしている、とさえ思う。 とはいえだ、この本に紹介されているような意識高い料理人や生産者が、ちゃんとした評価を受けなければ、日本の貧乏になり具合がどんどん加速するんだろうな、とも思われるから複雑である。一次産業ってやっぱり儲からないし、未来ない仕事じゃん、ってなっちゃう。だからさ、アレ...

ロバート・ウォルク 『料理の科学 1: 素朴な疑問に答えます』

料理の科学〈1〉素朴な疑問に答えます posted with amazlet at 16.05.14 ロバート・L. ウォルク 楽工社 売り上げランキング: 20,361 Amazon.co.jpで詳細を見る アメリカの化学の先生が、食品をめぐる素朴な疑問(たとえば「魚はなぜ、生臭いのか?」だとか)にひたすら答える本。帯には「「なぜ」がわかれば、料理はもっと楽しくなる!」とあるけれども、個人的に、それはどうだろうか、と思った。むしろ、気づかされるのは、なぜ、つまり、料理だとか食品をとりまく原理的な世界と、実際に料理を味わう感覚的な世界は、完全にリンクしないのではないか、ということだ。料理にまつわる俗説・通説の数々を本書は「(化学的には)実は意味のないもの」として説明しているのだが、感覚的な世界、舌の世界では「意味」が発生してしまう。 たとえば、塩について扱っている部分。著者は「挽いた瞬間に揮発性の高い香りの成分が飛ぶコショウとちがって、塩は挽きたても、挽いてから時間が経っていても、基本的には同じもの。味に変化はないハズ」というようなことを書いている。「へぇ、そうなんだ〜」と多くの人は思うだろうけれど、でも、挽きたての塩のほうが「ありがたい」と感じる気持ちは変わらないんじゃないか。つまり、化学的には同じ物質であっても、挽きたての塩と、そうでない塩は、別なものとして我々の感覚を刺激するのである。 そういう意味で、本書における化学的な説明は、料理の文化的な側面にまったく触れずに、そのまったく触れないものを際立たせているように思われる。我々は化学的に説明可能な物質を食べているのではなく、化学では証明できない意味を食べているんだな、とか思うんだよ……とやや批判的な調子で、本書を紹介したが、へー、みたいなトリヴィア知識は満載で、とても勉強になった。これまで勝手に思い込んできた誤解が解ける記述(赤身の肉の赤は、血の赤じゃない! とか)もたくさんある。化学の知識がなくても全然読める。

辻静雄 『うまいもの事典』

うまいもの事典 <辻静雄ライブラリー2> (辻静雄ライブラリー 2) posted with amazlet at 16.05.02 辻静雄 復刊ドットコム 売り上げランキング: 561,705 Amazon.co.jpで詳細を見る 名著 『フランス料理の手帖』 に引き続き、辻静雄ライブラリーの2巻『うまいもの事典』を読む。魚、肉、野菜、デザート、チーズ、ワインというジャンルごとに、食材の名前が並び、フランス料理を中心とした調理法や歴史的なトリヴィアを紹介している。「この食材ならリヨンにあるレストラン◯◯の△△が絶品だ」とか「これを食べるならワインは◯◯(ハチャメチャに高級なモノ)」とか、あんまり役に立たない、ともすれば、単なる薀蓄大開陳本と受け取られそうだし、まぁ、実際のところ、そうなのかもしれない。「ヴィシソワーズはフランス料理じゃなくて、アメリカで生まれたモノ」とか、「かぼちゃという名前は室町時代にカンボジアから日本に伝えられたところからきている」とか、思わず、人に話して煙たがられたい知識がちりばめられている。

土井善晴 『土井善晴さんちの「名もないおかず」の手帖』

土井善晴さんちの「名もないおかず」の手帖 (講談社+α文庫) posted with amazlet at 16.04.15 土井 善晴 講談社 売り上げランキング: 204,070 Amazon.co.jpで詳細を見る いま、わたしが最も動向を注目している日本人こと料理研究家の土井善晴先生のレシピ本が昨年文庫化されていた。写真でリッチに見せるレシピ本が多いなかで、土井先生の本は、少ない言葉でエッセンスを教えているので、文庫でも価値が落ちない本だと思う。やはりタイトルが哲学的というか、思想を感じる。日本人の日常食は、洋食のように料理名がついていない。「たとえば、小松菜と油揚げの煮びたしとか、玉ねぎと豚肉の炒めたのとか」。食材と調理法の組み合わせによる「名もないおかず」たち。そして、白いご飯。うまい。そこで、ご飯プラスおかず、という食事の様式について改めて考えさせられることになる。「素材から始まるおかず作りの本、どうぞキッチンに置いて活用なさってください」。

阿古真里 『小林カツ代と栗原はるみ: 料理研究家とその時代』

小林カツ代と栗原はるみ 料理研究家とその時代 (新潮新書) posted with amazlet at 16.04.09 阿古 真理 新潮社 売り上げランキング: 110,092 Amazon.co.jpで詳細を見る 昨年刊行されたときから面白そうだな〜、と思っていた本だったのだが、読んでみたらちょっと期待ハズレ……。高度成長期から今日までの料理研究家を振り返りながら、料理研究家の登場には社会の変化の反映があることを論じた「歴史の本」として書かれているらしいのだけれど、少し考えたら、社会の変化とともに流行りの(注目されている)料理研究家が変わる、って当たり前のことだろう……。もう一歩踏み込んだ分析・視点が欲しいし、社会の変化と料理研究家のキャラクターのつながりを指摘したのちに展開されるのは、料理研究家の生い立ち・プロフィールが語られ「こういう出自だからこういう料理が生まれた」というペラペラな分析が続く。料理に興味が無いおっさんが読んだら「ほっ、ほう〜」とフムフム感を覚えながら読めるかもしれないし、本書をもとに卒論を書く社会学系女子がたくさん誕生するんでは、とも思うんだけれども、これ、「歴史の本」を名乗るにはちょっとエヴィデンスが貧弱だし(Twitterで、エヴィデンスを積み上げた本、として評価している人がいたんだけども……)、ぶっちゃけ料理研究家ヒョーロンに過ぎない。

湯木貞一 『新版 吉兆味ばなし』

新版 吉兆味ばなし posted with amazlet at 16.03.29 湯木貞一 暮しの手帖社 売り上げランキング: 375,779 Amazon.co.jpで詳細を見る 湯木貞一は有名な高級料亭「吉兆」を開いた人。なんでも料理人として初めて文化功労賞に選ばれた、というのだから、いまや世界遺産である「和食」の文化を芸術の域まで高めた偉人のひとりなのだろう。本書では、湯木が雑誌『暮らしの手帖』の連載のために語っていた日本食に関する言葉の数々を堪能できる。 基本的には季節の食材をどのように家庭で調理したら良いのかを教えてくれるのだけれども、作法であったり、あるいは当時(1970年代前半)の日本人の食生活に関する小言のようなものも含まれている。腹さえふくれれば料理なんてなんでも良い、という家庭には「まるでボイラーに石炭を投げ込んでいるように食事をなさるご家庭が、だんだんふえてきているようで情けないことです」と嘆く。 こうした点も含めて、先日読んでいた 土井善晴の『おいしいもののまわり』 と似たことが数多く書いている。しかし、これは読む順番が逆、というのが正確なところで、似ている、というか、湯木の料理に関する哲学が、土井善晴にも流れている、ということなのだろう。「家庭料理はものの素直さというか、あんまりものをごたごたといじりまわして、複雑にしないということです」という湯木の言葉を、土井はそのまま受け継いでいる。土井は「吉兆」の流れを組む「味吉兆」で修行していたのだから当然というべきか。 『おいしいもののまわり』について書いたときに、土井が批判的にとりあげている「ご飯の炊き立て神話」について触れた。『吉兆味ばなし』には、この神話ができあがった謎を解き明かすような文章がある。 昔は法事というと料理人が法事をやる家に行って料理を出すものだったらしい。湯木はそこで「熱つ熱つのご飯を差し上げたい」というこだわりを持っていた。お坊さんがお経を読み上げたところで、すぐに炊き立てのご飯を出す。それでこそ、プロの料理屋なんだ、と。 一方で、湯木はこんなことも語っている。「このごろは手のかからないもの、早くできるもの、変わった料理、料理屋まがいの料理、そういうものを手あたり次第に家庭に持ちこむ」。「家庭料理はプロの料理...

辻調理師専門学校(編) 『辻調が教えるおいしさの公式 洋菓子』

辻調が教えるおいしさの公式 洋菓子 (ちくま文庫) posted with amazlet at 16.03.26 筑摩書房 売り上げランキング: 229,138 Amazon.co.jpで詳細を見る 『日本料理』 、 『西洋料理』 と同様見識が広がる本。洋菓子とは基本的には「フランス菓子」であり、フランス菓子は「フランスの地方菓子」の集積・洗練によって成り立っている、という記述が冒頭にあり、これだけでもう名著確定みたいな感じであるな。

レイモン・オリヴェ 『フランス食卓史』

フランス食卓史 (1980年) posted with amazlet at 16.03.07 レイモン・オリヴェ 人文書院 売り上げランキング: 543,008 Amazon.co.jpで詳細を見る レイモン・オリヴェは先日ご紹介した 辻静雄の『フランス料理の手帖』 のなかでこんな風に紹介されている。「フランスが世界にほこるビブリオフィル」、「ただのパリの料亭の主人とはわけが違う。なにをたずねても、たちどころに答えてくれる生き字引きのような人物」、「彼の集めた料理関係の本のコレクションは恐らく世界最高のもの」。パリのレストラン「ル・グラン・ヴェフール」のオーナー兼シェフでありながら、古い料理本を蒐集していた、という文人料理人とでもいうべき人物だったようだ。 『フランス食卓史』という邦題はミスリードで、原書はもともとイギリスで1967年に『The French at Table』というタイトルで出版されている。どこにも「歴史」の文字はなく、通史的な歴史読みものを期待していると肩透かしを食らうだろう。石器時代から現代のフランス料理までを振り返る部分はあるのだが、正直、そこまで面白くない……。が、フランス料理、もといヨーロッパの料理文化の厚みについて考える上ではなかなか良い本。フランスの料理文化が一本の単純な線のように発展したのではなく、さまざまな水源から流れ出る支流があわさって大河となっていることがわかる。

土井善晴 『おいしいもののまわり』

おいしいもののまわり posted with amazlet at 16.02.28 土井 善晴 グラフィック社 売り上げランキング: 8,222 Amazon.co.jpで詳細を見る NHKの料理番組でお馴染みの料理研究家、土井善晴による随筆を読む。調理方法や食材だけでなく食器や料理道具など、日本人の食全般について綴ったものなのだが、素晴らしい本だった。食を通じて、生活や社会への反省を促すような内容である。テレビでのあの物腰おだやかで、優しい土井先生の雰囲気とは違った、厳しいことも書かれている。土井先生が料理において感覚や感性を重要視していることが特に印象的だ。 例えば調理法にしても今や様々なレシピがインターネットや本を通じて簡単に手に入り、文字化・情報化・数値化・標準化されている。それらの情報に従えば、そこそこの料理ができあがる。それはとても便利な世の中ではあるけれど、その情報に従うだけでいれば(自分で見たり、聞いたり、感じたりしなくなってしまうから)感覚が鈍ってしまうことに注意しなさい、と土井先生は書いている。これは 尹雄大さんの著作『体の知性を取り戻す』 の内容と重なる部分があると思った。 本書における、日本の伝統が忘れらさられようとしているという危惧と、日本の伝統は素晴らしいという賛辞について、わたしは一概には賛成できない部分があるけれど(ここで取り上げられている「日本人の伝統」は、日本人が単一の民族によって成り立っている、という幻想に寄りかかっている)多くの人に読んでほしい一冊だ。 とにかく至言が満載なのだ。個人的なハイライトは「おひつご飯のおいしさ考」という章。ここでは、なぜ電子ジャーには保温機能がついているのか、を問うなかで日本人が持っている「炊き立て神話」を批判的に捉え 「そろそろご飯が温かければ良いという思い込みは、やめても良いのではないかと思っている」 という提案がされている。これを読んでわたしは電撃に打たれたかのような気分になった。たしかに冷めていても美味しいご飯はある。電子ジャーのなかで保温されているご飯の自明性に疑問を投げかけることは、食をめぐる哲学的な問いのように思える。

辻静雄 『フランス料理の手帖』

フランス料理の手帖 <辻静雄ライブラリー 1> posted with amazlet at 16.02.15 辻静雄 復刊ドットコム 売り上げランキング: 276,362 Amazon.co.jpで詳細を見る 辻調理師専門学校の創設者、辻静雄によるエッセイ集を。収録されている文章の初出は1971 - 1972年に『婦人画報』へと寄せたものがメインとなっているという。それから40年以上が経ち、日本におけるフランス料理をめぐる環境はまるで別物であるはずで、おそらく世界で一番にリーズナブルに美味いフランス料理が食べられる都市は東京なのでは、という気さえする、つまりは日本人も日本にいながら「ホンモノのフランス料理」を体験できるようになっている。けれども、この40年前の文章が醸し出す、高踏な「ホンモノ感」は未だに恐るべきものだ。 伊丹十三と辻静雄、このふたりが書くホンモノの外国(もっと狭い言葉を使えば、ホンモノのヨーロッパ)には、我々は永遠に追いつけないのではないか。もちろん、彼らが書いた外国は、もうすでに存在しないパリであり、ローマであり、ロンドンであり、ニューヨークなのだ。(過去の都市の様相を切り取ったものに過ぎない)。しかし、だからこそ、日本人が考える外国の理想形としてあり続けるのかもしれない。もはや存在しない理想の外国が、彼らの文章の中には存在する。 さすが、元新聞記者で、文学を勉強していただけあって、文章もめちゃくちゃに上手い。食とどう向き合うのか。日本の食文化を変えるきっかけを作ったひとりの求道者からは、いま だに学ぶべきところがある。大名著。あまりに高踏的すぎて「はっ、お前らの食べているフランス料理なんか所詮ニセモノ、俺が食べているモノがホンモノなのだ」と過去の地点から言われる気がするが、やむなし。もはやこういう文章を書くことが許される人間もいないのだろうな……。

福田育弘 『ワインと書物でフランスめぐり』

ワインと書物でフランスめぐり posted with amazlet at 15.11.16 福田 育弘 国書刊行会 売り上げランキング: 278,437 Amazon.co.jpで詳細を見る ワイン・フリークの仏文学者が書いたワインとフランス文学(そして歴史学)をめぐる著作。刊行されたのは97年、これは95年に田崎真也が世界的なソムリエコンクールで優勝して間もない頃である。それから20年近く経過しているわけだから、本書で散々disられている日本におけるワイン文化もだいぶ様変わりしていて「ワインというととかく高級なイメージがあるが……」ということもなくなっている(なお、 メルシャンが公開している資料によれば 、97年から近年までに日本人のワイン消費量はおよそ1.5倍に増えている)。 そういう意味では、やや古くなっている印象は否めないし(とくに当時のワインの輸送技術に著者はかなり批判的で、白ワインの酸味が輸送中に台無しになってしまう、などと書いているのだが、このへんは今改善されているハズだ)、文体はかなり高踏的、かつペダンティック(そして、今のご時世、大学の先生がワイン道楽三昧などと口にするのも憚られるような空気感さえある)なのだが、レベルは違えど、同じワイン好きとして共感できる部分があり、大変面白く読んだ。 ぼく自身のワイン遍歴もブルゴーニュから始まった。/当時はボルドーのシャトー数があまりに多いと思っていたので、ボルドーよりもとりあえずブルゴーニュをアペラシオン(つまり村単位)で飲みだしたのだった。これなら二十ぐらいだから何とかなると思ったわけだ。 筆者はすぐに「ブルゴーニュはクリマ(区画化された畑)の単位で飲まないと味の違いはわからない」と気づかされるのだが「これなら二十ぐらいだから何となかる」という発想に「わかるッ」とうなづいた。「何とかなる」ってなんだよ、なにを「何とか」するんだよ、という話なのだが、シンプルな知的欲求がそこにはあるのだ。 取り上げられているワインと生産地は、ほぼフランス全域に及ぶ。ブルゴーニュやボルドー、シャンパーニュといった有名な場所だけでなく、南仏やアルザス、もちろん、各地の赤も白も網羅的だ。著者は本書刊行後、フランスのワイン史に関する本をいくつか翻訳している。こちらもチェッ...

檀一雄 『わが百味真髄』

わが百味真髄 (中公文庫BIBLIO) posted with amazlet at 15.02.17 檀 一雄 中央公論新社 売り上げランキング: 175,098 Amazon.co.jpで詳細を見る 檀一雄の食べ物エッセイを読む。食べ物関連本には数あれど、この本は単なるグルメ本にあらず、檀一雄の豪快な人柄(かなり病的と言って良いと思う。こんな人が家族なら疲れてしまいそうだし、平成の今日では道徳的に許されないであろう生き様である、と思った)が現れたグルメ冒険譚という感じで大変面白かった。 戦中から敗戦直後の中国で、報道班員として活動していた頃の壮絶な体験もサラリと書いているのがすごい。なにしろ冒頭から中国兵と日本兵の死体の見分け方からはじまるのだ。それと食べ物の話が並列されて綴られることに、食べる、ということが、まっすぐに生死と繋がっていることを思わせる。「◯◯という地方の××が美味いらしいゾ」と聞けば、途端に家を飛び出して食べに行ってしまう、そういう冒険心を檀一雄は忘れなかったようだけれど、その思い切りの良さは、そうした中国での経験も大きく影響してるんじゃないか、とも思った。 読んでいると腹が減る本は良いグルメ本だと思うけれども、これは、なんというかそれ以前の「グルマンディーズとはなにか」「食客とはなにか」というところを問いかけてくる気がするね。もはや死語となったインターネット上のスラングを使うとするならば、ギザ貪欲、って感じであって、それだけで尊敬に価する。ヨーロッパやアメリカはもちろん、中国の奥地だとかいろんなところでホントにいろんなものを食べている。 それから交流のあった作家のエピソードなんかも読んでいて大変に笑ってしまった。とくに太宰。太宰と檀はしょっちゅう連れ立って酒を飲み、一緒に女を買いに行く仲だったそう。「太宰治と二人新宿を歩いていたところ、太宰は道端に売っている夜店の『毛蟹』をおそれげもなく一匹買い、それをまっ二つに割って、半分は私にくれ、そのまま町を歩きながら、手掴みで、ムシャムシャと喰いはじめた」とある。 道端で毛蟹が売っている新宿の風景もなかなか想像がつかず、食べ物から、そうしたソフィスティケイトされていない日本というか、野蛮な東京の風景みたいなものも窺い知れるなかなか深い本でもあ...

田崎真也 田中康夫 『ソムリエに訊け』

ソムリエに訊け (幻冬舎文庫) posted with amazlet at 15.02.07 田崎 真也 田中 康夫 幻冬舎 売り上げランキング: 284,070 Amazon.co.jpで詳細を見る 昨年は伊丹十三を集中的に読む年だったが今年は田中康夫を掘っていきたいと思っている。といっても新刊で買うのはアレなので、ブックオフで見つけたら読む、というユルいスタンスで。栄えある1冊目は日本を代表するソムリエ、田崎真也との対談本。単行本はが発刊されたのは1993年、元々は1988年から田中が発行していた「会員制雑誌」で進行していた企画だったとのこと。ちなみに田崎真也が「世界最優秀ソムリエコンクール」で優勝したのが1995年だから「田中康夫、やっぱり時代を先駆けすぎてるな」という感じがビンビンに伝わってくる。ソムリエという人々を一般に知らしめたのも、田崎真也のソムリエ世界一以降だったと思われるし、日本ソムリエ協会が初めてソムリエ呼称資格認定試験を実施したのも1985年のこと。ヨーロッパのワイン文化が日本で育とうという黎明期に、ほとんどオンタイムでこういう本を書いていたのだから、驚くばかり。個人的には、伊丹十三によるアボカドの紹介ぐらい驚いた。 20年以上前の対談を元にしているのだから、今「ワインを学ぶ/知るための本」としてはどうなんだろう、という部分もあると思う。語られるのはフランスのワイン中心で、イタリアとアメリカがほんの少し、スペインのカヴァなんかも一言二言みたいな感じで、南米や南アフリカ、オーストラリアといったニュー・ワールドへの言及は一切ない。低価格高品質ワインが日本に入ってきたことで、ワインのカジュアル化は相当に押し進んだと思う。だから、この本は、それ以前の世界の話、と言って良いであろう。もっともそのカジュアル化というのも、ワインの世界にカジュアルな地区ができた、というのが正確なところで、高級で、オシャレで、難しい地区、ラグジュアリーな食文化としての領域は、20年以上前とあんまり変わっていない。だから、その辺はまだまだ有効な本なのだ。 「習うより慣れろ、学ぶより飲め」と冒頭で田中康夫は書いている。そこだけ初心者に優しい感じなのだが、その後の対談は最初からかなり飛ばしている。教科書的な記述をあえて避けていると...

北大路魯山人 『春夏秋冬 料理王国』

春夏秋冬 料理王国 (ちくま文庫) posted with amazlet at 14.06.09 北大路 魯山人 筑摩書房 売り上げランキング: 50,446 Amazon.co.jpで詳細を見る 『開運! なんでも鑑定団』を観まくっていることは以前にも書いた けれども、あの番組を観ていると北大路魯山人について気になってくるのは当然であって、その著作に触れてみた。海原雄山のモデルになった食客による食全般に関するエッセイ。本としての初出は1960年だそうで、著者は1959年に76歳で亡くなってるから死後に出ていたことになる。それぞれのエッセイがいつ書かれていたのかわからないけれども、基本的には「良い食材を使え!」とか「料理人の大部分は食材を殺しているからいかん!」とかそんなことばかりで特別目新しいものはなかった。「アメリカよりイギリスのほうが飯がうまい」とか今言われてる定説とはズレてることを書いていたり、「寿司屋が堕落しているのでそのうちコンビーフとかトンカツの寿司が登場するに違いない!」みたいな予言じみた文句は面白いけれど、食エッセイなら、強風下におけるマッチの正しい使い方評論家のほうが断然面白い。 「旨いものは現地で食え!」という魯山人の現場主義も流通や冷蔵技術が未発達だった頃のお話であって、今だと東京で食べるのも現地で食べるのも実質変わらないのに、現場主義が「やっぱり現地で食べるのが趣きがあって良いですな」ぐらいのツーリズムに失墜している、と言えるかも。食に対するリテラシーでいったら、当時の魯山人よりも、現代においてそこそこお金を使っていたら魯山人よりも美味しいものを食べている可能性があり、美味しいものが食べられる時代に生まれて良かったなあ……という意見は、本書を先に読んでいた妻と一致した。 この当時からサシが入った牛肉っていうのは、美味しいものとされてきたんだなあ、だとか「過去の味覚」を探るのは面白くはある。魯山人の味覚を分類するに「繊細な味がする上手物」と「脂肪分が多い下手物」という二つの基本軸がある。これは実に単純なものだと思う。本書のなかで魯山人はフランス料理を強烈にdisっているんだけれども、それはこの味覚センスによるものなのでは、とも思われた。大岡昇平とともにトゥール・ダルジャンに行き、鴨を注文し...

夏野菜に夏の味が染み込んできました

 ハードコアなエントリばかり続くと、本当にブログの読者様が離れていってしまうのではないか!? と思い込み、箸休め的に本日の夕飯写真をアップします。本日のメニューは バンバンジー トマトのカルパッチョ 枝豆の釜煎り  でした。夏は暑くて大嫌いですが(とはいえ外回りをする仕事ではないため、通勤時しか夏の影響を受けないのですけれど)、キュウリやトマトなどの好きな野菜が安くなり、そのうえ美味しい、ということだけは良い季節です。土っぽかったり、青くさかったり、そういう風味が夏野菜にのってくると「ああ、夏が来たのだな」と思います。 参考レシピ dancyu (ダンチュウ) 2010年 07月号 [雑誌] posted with amazlet at 10.06.16 プレジデント社 Amazon.co.jp で詳細を見る  今月の『dancyu』は「夏野菜、おいしい新発見!」特集。「枝豆の釜煎り」は確かに茹でるよりも風味が残って美味しかったです!! 雑誌のレシピでは鉄鍋を使って、枝豆を蒸し焼きにしていましたが、ホーロー鍋(ウチではルクゼを使用)とかでも大丈夫だと思う。実家だと枝豆は蒸し器を使ってたかなぁ……。 棒々鶏(バンバンジー) by せつぶんひじき [クックパッド] 簡単おいしいみんなのレシピが116万品  バンバンジーはこちら。写真がキレイ。あと夏っぽい感じを出すには、陶器の食器よりガラスの食器のほうが良い、と思った。

肉の祭典、ローストビーフ

 みんな圧力鍋買ったほうが良いぜ……! T-fal ワンタッチ開閉圧力なべ クリプソ スペリオール 6L P4130766 posted with amazlet at 10.02.17 T-fal 売り上げランキング: 4950 Amazon.co.jp で詳細を見る

煮込みハンバーグ/オーバーヴァイスのトリュフ

 本日は煮込みハンバーグを。食を楽しむ人のための雑誌『dancyu』2月号に記載されていたレシピをもとにスパイスを買い込んで、ソースから作りましたが、これは大変でした……。手際が悪いせいか結局完成まで2時間ぐらいかかってしまいました。こういう苦労を重ねることによって「自分の家に足りない調理道具」が分かってきたりして勉強になるのですが。でも、疲れた。たぶん、ソースから自作した煮込みハンバーグは二度と作らない気が……。めちゃくちゃ美味しかったんだけれども。 dancyu ( ダンチュウ ) 2010年 02月号 [雑誌] posted with amazlet at 10.01.31 プレジデント社 Amazon.co.jp で詳細を見る  今回のレシピでは、ハンバーグを煮込みに使う鍋で焼いています。この焼き方を試してみたら、これまで作ったときよりも美味しく焼けた気がします。使用した鍋はル・クルーゼ。鍋の効果なのか、仕上がりがふわっとして、柔らかいハンバーグができました。今度普通のハンバーグを作るときにも鍋で焼いて試してみようと思います。  デザートには、昼間に伊勢丹で開催されている「サロン・デュ・ショコラ」で買ってきたオーバーヴァイスのトリュフを。このイベントには2年ぶりに足を運びましたが、今回もむちゃくちゃ人が多くて疲れました。試食を出しているブースに群がる人たちに阻まれて歩くのも難儀します。でも、苦労して(ホントはそんなに苦労してない。なぜならオーバーヴァイスのブースは結構空いていたからだ)手に入れたトリュフは、新作のラズベリーが飛び上がるレベルで美味しかったから良かった。