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そういえば最近は南米の音楽ばかり聴いていた




Tango:Zero Hour
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アストル・ピアソラ
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TROPICALIA 2
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Caetano Veloso & Gilberto Gil
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 昨年末、中古盤屋で回収した上記のふたつのアルバムを繰り返し聴いている。一枚目はアストル・ピアソラが自身で「最高傑作」と認めたというアルバム『Tango: Zero Hour』。二枚目はカエターノ・ヴェローゾとジルベルト・ジルの共作アルバム『TROPICALIA 2』。ピアソラのアルバムは「実は聴いてなかったアルバム」的な感じなのだが、小松亮太の『ブエノス・アイレスの夏』(これも超名盤)が目指していた音作りは、ココにあったのか! というピアソラ再発見的な印象を持った。小松亮太の件のアルバムは、ピアソラと共演していた人たちが参加したアルバムなのだから当たり前といえば当たり前だけれども――ピアソラの音楽を聴いたのはこの小松亮太のアルバムが初めてで、まずヴァイオリンが木でできた楽器であることを強烈に意識させてくれるような、その乾いた音色とアタックに痺れたことを思い出した。



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 カエターノ・ヴェローゾとジルベルト・ジルのアルバムは、初ジルベルト・ジル体験となった。なぜかこの人のことを女性ミュージシャンだと思っていて(たぶんジル・スチュワートやジル・サンダーなどと無意識に混同)「え? 男なの?!」というのにまずびっくりした。あと、写真を見たら「黒人系なの!?」とびっくりしたし、経歴を調べたら「政治家もやってたの!?」とびっくりして、なんかすげー人なんだな、と思った。「黒人系なの!?」というのは差別的な感じがするけれど、黒いねっとりしたサウンドとブラジルの音楽ってイメージ的に距離があるじゃんか、という(これも差別的な捉えた方だな……)。発表は1993年。一曲目からラップに取り組んでたり、めちゃくちゃファンキーであったり、しっとりしてたり、オッサンたち懐深すぎ……と嘆息せざるを得ないアルバムなのだった。



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 このライヴ映像!!





 ピアソラ(アルゼンチン)とヴェローゾ&ジル(ブラジル)のふたつの音楽は「南米の音楽」として一まとめにするには、あまりにも違いすぎるけれども、普段慣れ親しんでいる音楽とは違った音楽であるという印象を与えてくれる点では共通しているかもしれない。ロマンティックな異国情緒、というか。西洋の伝統的な音楽や、アメリカやイギリスの音楽のポピュラー・ミュージックの影響はもちろん感じられる。それが絶妙に変形されているところを確認するのも楽しい。エイトル・ヴィラ=ロボスの作品にも同じことが言えるだろうか。





コメント

  1. こんちは。いつもROMってます。ピアソラ「Tango: Zero Hour」も良いけど「La Camorra」より良いです。聞いてみてくださいね。

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  2. ありがとうございます! 「La Camorra」もピアソラがアメリカン・クラーヴェに残したアルバムですね。チェックします!

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